本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

ヒガンバナ科植物の蕾がふくらみだした。

先週は台風とその後の低気圧の影響で、寓居の近くでもかなり雨が降った。その雨と比較的涼しい気温のせいか、植物たちにもいろいろ変化が出てきた。

鹿子百合は盛りを過ぎた

まず庭に地植えしているピンクの鹿子百合(Lilium speciosum)は、あっという間に盛りを過ぎてしまった。この百合は鹿児島県の沖合の甑島(コシキシマ)が主な自生地で、鹿児島旅行をしたせいか、とても身近に感じられる。

それ以上に変化が出てきたのは、鉢植えのヒガンバナ科植物だ。

いつの間にかゼフィランサスが開花

まず、気がつかないうちに黄色いゼフィランサス(Zephyranthes)が咲いていた。ゼフィランサス属は南米に自生する植物で、日本でも白いタマスダレ(Zephyranthes candida)がなかば野生化していてあちこちでよく見かける。寓居のゼフィランサスは園芸品種ではないかとおもう。品種名は不明。

キルタンサス・モンタヌスの蕾が顔を出した

キルタンサス(Cyrtanthus)の蕾もふくらみだした。キルタンサス属は南アフリカに自生する植物で、分布地域は南アフリカのなかでも比較的広く、このため開花時期も品種によって異なる。今、蕾が見えてきたのはキルタンサス・モンタヌス(Cyrtanthus montanus)で、この種は一年をとおして雨が降る地域に自生しており、夏も葉を落とさずに生育を続け、初秋に開花する。なおこの種はとても増えやすく、ご覧のとおり寓居では3鉢育てている。

キルタンサス・パッショネイト・キングの蕾も顔を出した

園芸品種のキルタンサス・パッショネイト・キングも蕾がふくらんできている。

ゼフィランサスとキルタンサスは性質がよく似ているが、これはヒガンバナ科植物の祖先が、南アフリカと南米が一つの大陸だったころに誕生したため。その後大陸の分離と移動にともなって、それぞれ独自に進化した。

また日本のヒガンバナ(Lycoris radiata)も初秋に開花し、ゼフィランサスやキルタンサスに似ているが、リコリス属は祖先がアフリカから陸づたいにアジアに広がり、それが日本にまで到達したのではないかと私は考えている。アジアはヒガンバナ科植物の後発地帯なので、アジアに自生するヒガンバナ科植物は少ない(同じ理由で、北米に自生するヒガンバナ科植物も少ない)

アルバイトの派遣会社が変わる連絡を受ける

新宿で派遣のアルバイトを始めて間もなく4年になるが、このほど私が登録している派遣会社と派遣先の契約が終わることになり、アルバイトをどうするか、岐路に立たされている。

アルバイトの派遣会社が変わる連絡を受けた

もともと、派遣会社と派遣先の契約は3年ごとに見直しということになっており、今年がその見直し年なのだが、今回は、現在の派遣会社との契約を延長しないと、先日、派遣先から通告があったとの連絡を受けた。派遣先での業務は今後も継続するので、業務(アルバイト)そのものはなくならないのだが、アルバイトを継続するのであれば、個々の派遣社員は新しい派遣会社と契約しなおす必要がでてくる。私はといえば、ようやく慣れてきた業務だし、しかも今の仕事はフランス語が使えるので、会話の練習になってそれなりにおもしろいので、しばらくは今のアルバイトを続けたいと思っていた矢先だ。

外国語に関しては、現在のアルバイトは外国語を話すことが必須ではないし、派遣会社から要求されてもいないのだが、英語を話さないと仕事にならないことが多いので、毎日、簡単な英語を話している。また他のスタッフが外国人との対応に困っているときにヘルプすることも多い。英語に比べると、フランス語対応は10分の1もないし、だいいち日本に来るフランス人は英語が話せる人がほとんどなので、特にフランス語を話す必要はないのだが、相手がフランス人だと分かったときは、私はフランス語で対応して、相手からけっこう喜んでもらっている。

いずれにしても、現在はまだ新しい会社の方針や待遇が発表されていないし、だいいち新しい派遣会社が私のような70歳以上の高齢者に対してどう出てくるのか分からないので、しばらく様子見だ。

 

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中断していた翻訳を再開

鹿児島から戻り、亡くなったY君のことなどを考えていると、私もぼんやりしてばかりはいられないという気がしてきた。この先何年生きられるかは分からないが、とりあえず自分にできることはフランス語の翻訳なので、考える能力があるうちはフランスの古い文献の翻訳を続けて、現代社会のベースになっている古典的な思想の日本語訳を次の世代に残しておきたい。

(それに、家で翻訳をしていると、冷房の電気代以外はほとんどお金を使わないので、旅行で散財したあとの財政にはとても好都合だ<笑>。)

ちょうど去年の10月頃から取り組んでいた18世紀後半のCという思想家の小論文の翻訳が終わり、K学院大学経済学部の紀要に掲載されたので、この翻訳のために中断していたMの作品『経済学者への疑問点』の翻訳を再開した。

第三の手紙から翻訳を再開

この『経済学者への疑問点』は10通の手紙で構成されている。最初の2通の手紙の翻訳を終え、第3の手紙を翻訳していたところで作業が中断していたので、気分を一新してその中断箇所から作業を再開した。全体は原稿用紙350枚ほどの分量になる予定だ。

このあたりの警告は、現代にも通ずるようにおもわれるのだが…。

さて昨日訳した第3の手紙のなかで、著者は次のように語っている。

「諸々の法の一部が一度損なわれるやいなや、法全体の崩壊は確かだと確信してください。もし最初の不正が第二の不正を犯すのを強制しなかったならば、人間はあまりにも幸福なことでしょう。君主が一般行政のなんらかの規則を犯すと、かならず、何人かの市民たちがそこに自分の利益を見出します。こうした最初の成功は、次の企てを遂行する勇気を君主に与えます。そして新しい階級の市民は、不正であり、かつこの新しい不正を都合よく利用する動機をもちます。昔からの諸原則あるいは昔からの慣習にもかかわらず、少しずつ分断され、気力を失った国民には、法のために強く語るのに十分な活力がもはや存在せず、しまいには沈黙を守るでしょう。」

この警告は、現代にも通ずるのではないだろうか。

 

友人の法要で鹿児島に行く17――フレンチのランチを食べて帰還

南洲墓地と西郷南洲顕彰館はゆっくり見てまわりたかったのだが、ここは車の便が悪く、30分に1本の巡回バスを逃すと全部の予定が狂ってしまう。

さまざまな店舗が混在しているレトロフトチトセ

やむなく早めに見物を切り上げ、ガイドブックに載っていた鹿児島市内のユニークなビル「レトロフトチトセ」(名山町 2-1)を訪ねてみた。

古本屋にはおもしろそうな本がたくさん並んでいた

レトロフトチトセの1階は古本屋になっており、人文関係のおもしろそうな本がたくさん並んでいた。もしかすると、本好きのY君もたびたび訪れていたかもしれない。時間をかけてじっくり来てみたいとおもわせる店だった。。

https://retroft.com/

城山ホテルの「ルシエル」で鹿児島最後のランチ

古本屋を覗いたあとは、荷物を預けてあるので、急いで城山ホテルに戻った。鹿児島最後の食事は、ホテル10階の展望レストラン「ルシエル」で、フレンチのランチだ。「ルシエル」では、桜島の正面の席をお願いし、まず、ちょうどフェアをやっているという地ビールを注文した。ここまで来れば、もう東京に戻るだけなのでのんびりだ。

桜島と鹿児島の市街地を見ながら、のんびり食事

献立は、前菜、スープ、魚料理がついていて、メインは肉料理。

https://www.shiroyama-g.co.jp/restaurant/leciel

桜島を眺めながら、しばし旅行の振り返り

目の前に迫る雄大な桜島を眺めながら、しばし今回の旅行を振り返った。鹿児島では、おいしいものもたくさん食べたが、なんだか、たくさん墓を見た旅だった。燃える桜島が生命の島ではなく、死の島にみえた。

 

 たまゆらの露も涙もとどまらず 亡き人恋ふる宿の夏風

 

鹿児島空港に到着

食事を終えて荷物を受け取ると、バスを乗り継いで鹿児島空港に到着。

空港で最後のお土産を物色

けっこう早く空港に着いたので、売店で、最後のお土産をあれこれ買い込んだ。

無事、羽田に帰還

追い風のせいか、帰りのフライト時間はとても短く、夕方、無事に羽田空港に到着した。

友人の法要で鹿児島に行く16――西郷隆盛関連の史跡を訪ねる

鹿児島城の御楼門前を直進し、信号をわたると、そこは西郷隆盛が1874<明治7>年に設立した私学校跡。

西郷隆盛の足跡を訪ねる小観光

交差点の角に設置してあるプレートには、私学校の生徒の暴走をきいたときの西郷の言葉「おはんら何たることをしでかしたか」が刻まれている。ここからは、西郷隆盛の足跡を訪ねるディープな小観光だ。

無数の弾痕が残った石塀

私学校跡の石塀には無数の弾痕が残り、西南戦争(1877<明治10>年)の激しさを伝えている。

私学校跡を示す石碑

この場所に西郷隆盛が設立した私学校があったことを示す石碑。

西郷隆盛終焉の地

私学校跡の碑を直進し、日豊本線を超えたところに、西郷隆盛終焉の地を示す石碑が建っている。また石碑の横には「晋どん、もうここらでよか」という西郷の最後の言葉を記した案内板が設置されている。この日はちょうど地元のボランティアの人たちが石碑を訪ねに来ており、記念写真を撮影してくれた。また、西郷終焉の地から西郷ら西南戦争で倒れた人々の墓がある南洲墓地まではすこし距離があって分かりづらいのだが、ボランティアの人たちが親切に行き方を教えてくれた。

南洲墓地

南洲墓地。墓地なので墓がたくさんあるのは行く前から分かっていたが、実際にこれだけの墓を見ると圧倒された。

西郷隆盛の墓

中央が西郷隆盛の墓。

戦死した元庄内藩士の名を刻んだプレート

西南戦争では、西郷隆盛と庄内の縁から、元庄内藩士、伴兼之と榊原政治も参戦して討ち死にしている。戦死者の名を刻んだプレートのなかに二人の名前を見つけた。ほんとうは彼らの墓も見つけてお参りしたかったのだが、時間があまりないのと墓の多さで断念した。

墓地の傍らの南洲神社

墓地の傍らには、西郷らを祀る南洲神社がある。この神社の東北地方唯一の分社が酒田市にある。

西郷隆盛顕彰館

墓地のかたわらには、西郷隆盛顕彰館があり、西郷の業績をたたえるさまざまな資料が展示されている。

西郷の草履

西郷の草履。

豪快な西郷の書

豪快な西郷の書。時間に追われて、この顕彰館もあわただしい訪問になってしまった。館を辞去するときスタッフに「私は鶴岡出身です」と告げたところ、西郷と庄内・鶴岡の関係をよく知っているスタッフは、とても喜んでくれた。

 

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「本質を見極めて行動することの重要性を説く西郷隆盛の『南洲翁遺訓』

友人の法要で鹿児島に行く⑮――西郷像を目指して城山公園をくだる

鹿児島滞在最終日の11日の市内観光、「脚下照顧」という言葉もあるので、まずはホテルが位置する城山公園を歩いてみることにした。城山は鹿児島城が位置していた場所であると同時に、西南戦争最後の戦場だ。

城山ホテルの前が遊歩道の起点

ホテルの前が城山をめぐる自然遊歩道の起点になっている。

完全に山の中の雰囲気

道はきちんと整備されているが、完全に山の中の雰囲気。こんなところに立てこもられては、なかなか攻撃できなかっただろう。

ものすごい古木に圧倒された

途中、ものすごい古木に圧倒された。

いたるところで武蔵鐙が目についた

そして城山遊歩道でも、いたるところで武蔵鐙が目についた。

遊歩道を30分ほどくだると西郷像に着いた

遊歩道をくだること約30分、ふもとの西郷隆盛像(安藤照作)前に着いた。

西郷像の隣は鹿児島市立美術館

西郷隆盛像のあたりは鹿児島城の二の丸跡で、像の隣に鹿児島市立美術館があり、屋外彫刻が目に着いたのでちょっと覗いてみることにした。

ロダンの「ユスタッシュ・ド・サン=ピエール」

近づいてみると、美術館の門前に展示してあったのはロダンの「ユスタッシュ・ド・サン=ピエール」だった。ロダンの彫刻が無料でじっくり観れて、得した気分。

マイヨールの「とらわれのアクション」

ついでに館内に入ってみると、ロビーにはマイヨールの「とらわれのアクション」が展示されていた。

忠犬ハチ公像の原型

そしてマイヨールの向かいはなんと渋谷駅の「忠犬ハチ公像」(安藤士作)の原型。ハチ公像と鹿児島の関係をちょっと調べて見たら、意外なことに私の郷里・鶴岡市ともつながっていることが分かった。

まずこのハチ公像は2代目で、初代のハチ公像の制作者は直前に見た西郷隆盛像と同じで、鹿児島出身の彫刻家・安藤照。安藤に制作を依頼したのは斎藤弘吉という人物で、この人が鶴岡出身だ。安藤と斎藤は芸大で学んだ友人だったという。しかしこの初代ハチ公像は第二次大戦中に金属資源として供出され、また安藤照も空襲で焼死してしまった。戦後、斎藤はハチ公像再建に動き、安藤照の息子・安藤士に新しいハチ公像制作を依頼した。安藤士ははじめ石膏で原型をつくり、それをもとにしてこの原型を制作して、この2次原型から現在渋谷駅前に展示してあるハチ公像(2代目)を制作したという。いっぽう石膏原型は、複雑な偶然の事情を経て斎藤の故郷である鶴岡市に運ばれ、現在も鶴岡市内に展示してあるという。とここまで書いて、私は郷里でハチ公像を見て、「なんでここにハチ公像があるんだろう」と、不思議におもったことを思い出した。私からすると、おもいもよらぬ、郷里と鹿児島の縁の発見だ。

そんな驚きがあった美術館を出て城跡の堀に沿って進むと、前日訪れた鹿児島城(鶴丸城)の御楼門が見えてきた。

 

【鹿児島市立美術館】

https://www.city.kagoshima.lg.jp/artmuseum/

友人の法要で鹿児島に行く⑭――いよいよ滞在の最終日

11日、いよいよ鹿児島滞在最後の日になった。

バイキング形式の朝食にもだいぶ慣れてきた

3回目なので、城山ホテルでのバイキング形式の朝食にもだいぶ慣れてきた。

調理コーナー

こちらは調理コーナー。左端はよくある玉子料理だが、中央は豚シャブ。今回、鹿児島名物の一つ豚シャブを外で食べていないので、豚シャブをつくってもらった。

要領が分かって、朝食もけっこう豪華になった

何をとったらいいか、食材の選び方の要領がだいぶ分かってきたので、この日の朝食は我ながらけっこう豪華だ。手前の小鉢が豚シャブ。

フルーツとデザートもしっかり

フルーツとデザートもしっかりとった。

火山灰で霞む桜島

こちらは朝食後に撮影した桜島。ものすごく霞んでいるが、これは雲ではなくて、台風の強い風で火山灰が吹き飛ばされて舞い上がっているということのようだ。

さて飛行機の出発時間は午後4時過ぎだが、鹿児島空港は市内から遠いので時間の余裕があまりない。ホテルで最後の朝食を取りながらだいたいの行動予定を考えた。鹿児島観光では、桜島とならんで島津家の別邸「仙厳園」とその周辺施設が名所になっているが、今回は仙厳園はあえてはずして、残された時間を西郷隆盛関係の史跡まわりにあてることにした。