本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

アルバイトの退職日が決まる

新宿でのアルバイト退職が正式に決まった。

新宿でのアルバイト退職が正式に決まった

前にも書いたように、先日、私は6月いっぱいで退社したいという意向を伝えていたのだが、会社の方から、人が足りなくて困っている日があるので助けてほしいと要請され、話し合いの結果、今月も少しだけ出社して円満退社することになった。最終出社は7月21日で、飛び飛びに4日間だけ出社し、残りは有給消化という扱いになった。6月末の退職希望を伝えたときには、ともかく早く会社をやめられれば有給消化はしなくてもよいと考えていたのだが、その点は会社から説得されて、7月中に残っていた有給休暇を全部使うことにした(といっても、私の勤務期間は短いので有給休暇がそんなにあるわけではない)。

まだ次の仕事を決めていないので、今後の収入や生活のことでは不安があるが、どこかで振り切らないと自分の計画を先にすすめることができないので、アルバイトをしていない期間を有効に活用して、気になっている翻訳の作業をすすめることにした。

オーストリアから植物の種が届く

6月16日にヨーロッパの種苗会社に注文した10種類の植物の種が届いた。すべて南アフリカに自生している植物の種で、ラケナリア(キジカクシ科)6種、モラエア(アヤメ科)3種、グラジアラス(アヤメ科)1種。一度ヨーロッパで栽培して増やしたものを、世界中の愛好者に販売しているようだ。

オーストリアから植物の種が届いた

注文先はExotic Plantsという会社で、これまでもなんどか注文しており、対応はしっかりしているが所在地がいまいちはっきりしない。今回はオーストリア、ケルンテン州のクラーゲンフルト近郊から発送されてきた。代金は、送料をいれて約41ドル(邦貨約5,700円)。珍しい植物ばかりであることを考えれば、なっとくできる価格だ。秋に撒いて、花が咲くのはその3年後くらいだが、花を見るのが今から楽しみだ。

https://www.exotic-plants.de/index-en.html

 

公共放送の収録に立ち合う

昨日は公共放送の収録に立ち合った。

公共放送の収録シーン

1960年代の終わりから70年代のはじめのアングラ演劇のことを、当事者にいろいろインタビューして収録していた。その当時私はまだ中学から高校に入ったころで、知らないことばかりだったので、いろいろ興味深かった。

懐かしいポーランド旅行の写真

現在、18世紀にポーランドが分割される前後の政治状況について書いた本(原文はフランス語)の自費出版を現在準備中だが、私は2010年にポーランドを訪問しており、そのときに撮った写真がなんとか使えないかと調べていたら、懐かしい写真がいろいろでてきた。ポーランドへは美術展の関係で行ったので、そのときはあまり意識していなかったが、写真をみると、ショパン生誕200年の記念イヤーだったようだ。

ワルシャワショパン空港(ショパン生誕200年の大ポスターの前で)

このときは、行も帰りもモスクワ経由で、ワルシャワからポーランドに入り、シレジア地方(ポーランド語ではシロンスク)の都市カトヴィツェを起点に、古都クラクフアウシュヴィッツヴロツワフ(ブレスラウ)などを回った。クラクフは現在翻訳中の作品の舞台の一つで、第二次世界大戦等の被害をほとんどうけなかったので、18世紀当時と同じ街並みが現在も残っている。

古都クラクフのヴァヴェル城

ワルシャワの古地図屋で見かけたポーランド分割の地図

ポーランドは以前から訪問してみたい国の一つだったのだが、行く機会はないだろうなとおもっていただけに、とても有意義な旅行だった。

簡単でおいしいローズマリー風味のポークソテー

本日の夕食は、自分で栽培したローズマリーの風味をきかせたポークソテー。とろけるチーズと市販のトマトソースでトッピングするだけで、それなりにきちんとした料理の雰囲気になる。アルバイトから戻ると遅くなり、いつも夕食をつくる時間があまりないのだが、この料理は簡単にすぐつくれるので、けっこう私の定番になっている。

簡単でおいしいローズマリー風味のポークソテー

作り方は超簡単。ポークのロース肉にさっと塩・胡椒して火にかけ、庭で栽培しているローズマリーをのせてさらに焼き、肉の表面に焼き色がついてきたら白ワインをちょっといれてフライパンに蓋をし、5~6分蒸し焼きにする。

ローズマリーをのせて焼くだけでポークの風味が増す

肉のなかまで火がとおったら、とろけるチーズを上にのせ、チーズの表面が溶け出すまでさらに1~2分蒸し焼きにする。

チーズが溶け出したら皿に盛りつけ、市販のトマトソースをかけると出来上がり。

全部で10~15分くらいしか時間がかからないし、難しいコツもいらない。ポイントはやはりローズマリーで、これをのせて焼くと、それだけでポークの風味がぐんと増す。

あとは手軽なつまみ(前菜)と、ちょっとしたサラダがあれば、夕食はこれで万全。厚切りの肉はおなかにたまるので、重宝する一品だ。

 

『図説プロイセンの歴史』を読む

『図説プロイセンの歴史 伝説からの解放』(セバスチャン・ハフナー著、魚住昌良監訳、川口由紀子訳、東洋書林、2000年)を読んだ。

プロイセン=ドイツととらえる方も多いかとおもうので、はじめに簡単に説明しておくと、「プロイセン」はバルト海に面した現在のロシアの飛び地カリーニングラード州付近の地名で、もともとは「非キリスト教徒の小さな一民族の名であった。この民族の起源、歴史については、今ではほとんど何も知られていない」(同書12頁)。ここにドイツの騎士修道会が植民し、みずからもプロイセンと名乗ったのが、歴史に登場する「プロイセン」国家の始まりである。したがって成立当初のプロイセンは、ドイツ人の入植地ではあるがドイツ(神聖ローマ帝国)には属しておらず、むしろポーランドに従属していた。

このプロイセンが、神聖ローマ帝国内の領邦ブランデンブルクと同君連合を結ぶ時点から、プロイセンとドイツ史のかかわり、そしてプロイセン拡大の歴史が始まる。

本書が語るのは、このプロイセンがどのように拡大し、また普仏戦争後に統一ドイツの盟主となり、みずからを「ドイツ」のなかに解消し、ドイツ帝国およびその後ナチス政権崩壊と運命をともにするまでの歴史である。その意味では、プロイセンの歴史の大部分は近代ドイツの歴史と重なるのだが、その枠組みには収まり切れない部分も含んでいる。

近代ドイツ史の新しい視点を提示する『図説プロイセンの歴史』

また本書の副題の「伝説からの解放」は、このプロイセンが、18世紀以降一貫して国土拡大を目指した軍国主義的国家であり、ドイツ帝国成立以降、プロイセン軍国主義ドイツ国家の性格を規定したという<伝説>を、歴史の細部をたどることで見直すという意図からきている。

それは、プロイセン王国が新たなドイツ帝国の盟主となることについての次のような記述からも読み取れる。「帝国の歴史に深く根を張り、帝国から成長し、帝国という理念から完全には脱し切れなかったオーストリアとは異なり、プロイセンはむしろそれとは対照的な建造物、反帝国であった。(中略)プロイセンは、ピカピカで真新しく、どんな歴史的後光も背負っていない国、理性だけでできた国、国の中の国であり、明晰に思考する国家理性であり、中世の所産ではなく啓蒙主義の所産であった。よりにもよってそのプロイセンが、ある日帝国を再興することになろうとは、プロイセンの古典時代だったらさぞかし誰もが冗談と思ったことであろう。」(同書267頁)。したがって、著者によれば、「1871年1月18日、ヴェルサイユ宮殿における皇帝宣言をもって、プロイセンの死にいたる長い日々が始まったのである」(同書269頁)ということになる。

18世紀のフリードリヒ大王の統治、ナポレオン時代、ナポレオン没落後のウィーン体制時代のプロイセンを一貫してみながら、著者ハフナーは、プロイセンとドイツの歴史についての新しい視点を獲得したといっていいだろう。

さまざまな時代の絵や図版が豊富で、プロイセンの歴史を視覚的にもたどれるようにしたのは、本書の大きな特長。

叙述全体は、細かな史料から大きな流れを導き出すというよりは、著者の考える新たな視点を時代時代のできごとに適応させるという感じで、説得力はあるが、史料に基づく論証という意味ではやや弱点があるのは否めない。

 

『物語ウクライナの歴史』を読む

緊急で黒川祐次の『物語ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国』(中公新書、2002年)を読み終えた。著者は、1996年から99年まで駐ウクライナ大使を務めたウクライナ通。ウクライナの歴史についていろいろな資料を調べているのは当然のことだが、それらの扱いも客観的で優れている。

複雑なウクライナの歴史を分かりやすく解説

ウクライナの歴史、これまで私は隣国ポーランドの歴史をとおして間接的に眺めていたのだが、ウクライナから見れば、ロシア・ソビエトのみならず、ポーランドも抑圧者だったという指摘は目から鱗が落ちるようだった。

現在私が翻訳しているポーランド関係の作品は、18世紀当時のポーランド南部を舞台にしているのだが、ここはもともとウクライナ人居住地で、現在はウクライナ領となっている。また1768年にロシアに反対して立ち上がったバール連盟というポーランド愛国運動の発祥の地バールも現在はウクライナ領だ。島国日本と異なり、領土が陸続きのヨーロッパでは、戦争などによって何度も国境が変わっており、そもそも特定の国の歴史という概念が成立しにくい。問題をポーランドウクライナに絞ってみていくと、16世紀~17世紀にかけてポーランドが強大な国だったのは、支配下ウクライナ人コサックを兵士として動員できたからだと黒川は指摘する。18世紀になるとポーランドは国力が急激に衰え、結局、ロシア、プロイセンオーストリアに分割されて国が亡くなってしまう。このとき、ポーランド領のウクライナ人居住地は、大半がロシアに組み込まれた。またそれとほぼ同時に、オスマン・トルコの勢力圏だった残りのウクライナ人居住地域も、ロシアに組み込まれた。

その後の19世紀の独立運動ロシア帝国崩壊に際しての複雑な独立運動についても、黒川は非常にわかりやすく説明している。

政治や戦争のことだとどうしても話が固くなりがちだが、黒川は音楽好きとみえて、ところどころの話題をクラシック音楽とからめて説明しているのも、個人的には好感がもてた。

それにしても『物語ウクライナの歴史』を読むとウクライナの歴史は悲劇的で、早く良い方向で解決して欲しい。