先日、林芙美子(1903<明治36>年~1951<昭和26>年)の『放浪記』を読んだが、それをきっかけに大正から昭和初期にかけてのプロレタリア文学に興味が湧いてきた。ということで、とりあえず葉山嘉樹(1892<明治27>年~1945<昭和20>年)の短編集(岩波文庫、2021年)を読んでみた。

プロレタリア文学からの逸脱に焦点をおいて編集された『葉山嘉樹短編集』
葉山は日本の初期プロレタリア文学を代表する作家の一人とされる人物で、代表作は『海に生くる人々』(1926年)。実は、まずこの作品について何か書きたかったのだが、どうも書きにくく、かつ葉山という作家のことがよく分からなかったので、こちらの短編集も読んでみた。合わせて原健一の『葉山嘉樹への旅』(2009年、かもがわ出版)というエッセーも読んだので、それを踏まえて、『葉山嘉樹短編集』と葉山について少し書いてみよう。
まず葉山自身についてだが、彼は福岡県の比較的裕福な家に生まれたものの、放蕩のあげく早稲田大学を中退し、その後、船員、医者の玄関番、鉄道管理局の臨時雇いなどの職を転々とした。この間、数々の労働運動にかかわり、治安警察法違反で、1922年、23年と連続して検挙され、服役している。獄中でこの短編集にも収載されている『淫売婦』を書き上げ、また『海に生くる人々』を起稿した。出獄後は左翼系の文芸誌『文芸戦線』の同人となり、同誌を中心に作品を発表している。その一方、生活は苦しく、妻の実家に寄食したり、工事現場で働いたりしている。しかし1930年代になると、労働運動やプロレタリア文学に対する弾圧が厳しくなり、1932年には『文芸戦線』が廃刊に追い込まれた。この頃の葉山の思想的な揺れと作品の関係がどうもはっきりしないのだが、Wikiのデータでは、葉山は転向して国策に同調していったとされ、終戦間近の頃、数度満州にわたり、敗戦後の混乱のなかで、1945年10月に満州で病死している。

葉山嘉樹の晩年を探った『葉山嘉樹への旅』
原健一の『葉山嘉樹への旅』は主に長野県の葉山ゆかりの地を訪問したり、葉山の未亡人と会ったエピソードなどを交えながら、『文芸戦線』廃刊から死までの葉山がどのような生活をしていたか、何を考えていたか、なぜ満州にわたったかなどを追いかけたエッセーだ。
本書の冒頭で原は、葉山嘉樹を読み直すことの意義について次のように書いている。
「プロレタリア作家葉山嘉樹は、初期の『淫売婦』『海に生くる人々』そして『セメント樽の中の手紙』などの作品で文学史の上にその名を留めているが、後期の文学活動や晩年については知られていないことが多い。従って名作を残しながら現在に読み継がれていない作家の一人と言って差し支えないだろう。その理由の第一に、『淫売婦』が『文芸戦線』(大正14年)に発表されたのに続いて『海に生くる人々』が出版されるやプロレタリア文学の騎手的な作家として脚光を浴びた葉山が、晩年は当時の国策であった『満蒙開拓』に協力したことが挙げられるだろう。(中略)そういったマイナス要因を一切払拭して、葉山嘉樹という作家の作品に迫ってみることは、今日の社会的状況からみて有意義なことにちがいない。」(本書8頁)
一方、岩波版の『葉山嘉樹短編集』は、「葉山は、マルクス主義を政治的・思想的な軸としながら、終始『文戦派』にとどまり続け、文学的にはなお『大正労働文学』的なアナーキーな傾向を引きずり続けていた。彼の作品はしたがって、『戦旗派』の政治主導的な社会主義リアリズムまがいの文学とは一味も二味も異なっており、ややもすると『プロレタリア文学』なるものを逸脱したようなところさえ見受けられる。本短編集は、そうした葉山の逸脱をあらためて確認しようとして編まれたものである」(同書解説、道籏泰三)とされる。道籏の解説に示唆されながら短編集に収載されている初期作品『セメント樽の中の手紙』や『淫売婦』を読むと、たしかに葉山は、実体験にもとづいて社会の底辺の労働者(や淫売婦)をリアルに描いてはいるものの、そこから社会変革を導き出そうとするよりも、社会の底辺の人々のグロテスクな生態の描写そのものにこだわっているような印象を受ける。
と、ここまで考えて反射的に思い浮かんできたのは、映画監督ルイス・ブニュエルの作風だ。ブニュエルは作品のなかでブルジョワ社会の欺瞞を好んでとりあげているが、同時に社会のグロテスクな一面もリアルに描き出す。そうした点は、彼の作品を左翼的とされるルキノ・ヴィスコンティの作品と比較すると明らかだが、ブニュエル作品は、プロレタリアとブルジョワの対立を糾弾するといった点には収まりきれない要素をもっている。ブニュエル映画は、シュルレアリスムの手法・思想にもとづいているとされるが、葉山の作品も、シュルレアリスムとまではいかないものの、そうした要素を多面にはらんでいるのではないだろうか。『葉山嘉樹短編集』に収載されている作品では、『労働者の居ない船』(1926年)や『人間の値段』(1935年)などに、そうした傾向が強いようにおもわれる。
ここでもう一度この短編集の編者・道籏の言葉を借りれば次のようになる。
「葉山の言葉は、意味作用を旨とする階級闘争の用語とは違った、いわば肉体から発する言葉だということだ。それは極論すれば、アナーキーなダダにも通じる言葉である。第一次大戦後のヨーロッパは革命の時代であるばかりでなく、絶望の上に廃墟のごとく立ち竦むダダの時代であった。(中略)葉山にもその精神のいくぶんかが流れ込んでいるのだ。ダダの言葉とは、論理でつながる言葉ではなく、意味を破壊し、そのつどの偶然の中で動いてゆく言葉だ。意味は受け手の側の自由に委ねられる。葉山が好む奇妙な比喩もその一端だ。」(337~8頁)
これを具体的に検証するため、『労働者の居ない船』から葉山の文章を引用してみる。
「金持ちの淫乱な婆さんが、特に勝れて強壮な若い男を必要とするように、第三金時丸も、特に勝れて強い、労働者を必要とした。そして、そのどちらも、それを獲ることが能きた。だが、第三金時丸なり、または淫乱婆としては、それは必要欠くべからざる事では、あっただろうが、何だってそれに雇われねばならないんだろう。
いくら資本主義の統治下にあって、鰹節のような役目を勤める、プロレタリアであったにしても、職業を選択する権利だけは与えられているじゃないか。
待ってくれ! お前は、『そりゃ表面のこった、そんなもんじゃないや、坊ちゃん奴』と云おうとしている。分った。
職業を選択している間に『機会』は去ってしまうんだ」(44~5頁)
三人称で語りだしながら、突然自問自答が始まる人称の揺れもさることながら、第三金時丸という船と淫乱婆の対比は、気持ちは分からないでもないが、あまりにも唐突だ。
結局、左翼的な匂いを強烈に放ちながら、行儀のよい教科書的な表現から逸脱しているこうした強引な文章が、作品を捨象して得られるテーマなどよりも強烈に、葉山の思想を表現しているようにおもわれる。一筋縄では片づけられない作家だ。