本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

ロムレアの一番花が開花

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ロムレア・アトランドラの一番花と19年に播いた小株(右)


アヤメ科植物ロムレアの一番花が開花した。咲いたのは「ロムレア・アトランドラ(Romulea atrandra)」で、花の直径は2cmほどだがとてもよく目立つ。自生地は、南アフリカの西ケープから南東ケープにかけて。自生地は雪が降ることもある地域で、ロムレアとしてはやや耐寒性がある。右側の鉢は19年10月に播いた種から成長した株で、開花はまだ先。細い葉だけが伸びている。この株の下に小さな球根ができているはずで、それが肥大しないと開花しない。

ロムレアという属名は古代ローマ建国の伝説的英雄ロムルスに由来。南アフリカから地中海沿岸地域にかけて90種ほどが分布している。

女優Eさんの夢をみる

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昨晩は、女優Eさんの夢をみた。彼女が何かの芝居に出ていて、そのリハーサルを観に行くというような夢だった。

私がEさんを知ったのはかなり古く、共通の友人をとおして20年以上前に紹介してもらったのだが、別世界の人というイメージが強く、それからずっとあまり距離を縮めないできた。それが変わったのは10年くらい前で、きっかけはよく覚えていない。ただその頃、女優と呼ばれる人たちは何を考え、どういう生活をしているんだろうと急に興味がわき、自分から接近していったことは確かだ。

さて2012年、私は某学会の大会で名古屋大学に行ったのだが、そのことを彼女に話したところ、自分も名古屋大学に行き学会報告を聴講したいと言いだしたので、名古屋大学のキャンパスを案内したのが急に親しくなるきっかけになったかもしれない。また同じころ、彼女が何か日本の小説を読みたいと言っていたので加賀乙彦『帰らざる夏』を紹介したところ、彼女はこの作品がとても気にいり、共通の話題ができて話しやすくなったというようなことがあったかもしれない。

当時、Eさんは世田谷中央図書館近くのマンションに住んでおり、図書館に行くときなど、彼女のマンションに立ち寄っていた。

その直後にEさんは所属事務所を変え、また世田谷区の桜新町の近くに転居して、住まいそのものはすこし遠くなったのだが、彼女が桜新町に転居してから、さらに頻繁に会うようになった。というのも、それまで彼女は自分で車を運転して外出していたのだが、桜新町に転居してから免許を返納し、外出や買い物が不便になったとこぼしていたので、彼女が必要としているものを買って届けることもよくあった。映画、芝居、コンサートにもよく行った。映画などの帰りは、外で食事をすると目立つのでちょっとした食べ物を買って帰り、さしで飲みながら、見たばかりの映画のことやいろいろなことを、二人でよく話した。

2018年はその転機で、春、母の墓所が下田にあり法要をするつもりなのだが、誰も誘いたくないので一緒に行ってくれと頼まれ、二人だけで下田に行った。そのとき「来年もまた二人で来ようね」と約束していたのだが、まさか次の機会が彼女の納骨になるとは思ってもみなかった。

その年はとんでもない猛暑で、京都の祇園祭も中止になったのだが、その暑い京都でドラマを撮影し、戻ってきてから一緒に病院に定期検診に行った。そこで骨にヒビが入っていることが分かり、それが彼女の死の遠因になった。ヒビそのものは動かないように固定していれば大丈夫ということだったので、その後もドラマのなどの仕事をこなしていたのだが、もっとがんばろうとジムに行き運動したのがきっかけで急に体調不良になり、入院してすぐに亡くなってしまった。亡くなる間際、会いたいので私を呼んで欲しいと共通の知人に頼んだということなのだが、ちょうどその時、折悪しくも私は出張で東京にいなかったので、死をみとることはできなかった。帰りの新幹線のなかで彼女が亡くなったという報告を聴き、東京駅からそのまま斎場に直行して、彼女の亡骸と対面した。出張が終わったらまた会おうと約束していたので、あまりにも急激な死に呆然となったことをよく覚えている。

それからもう2年以上たつのだが、文学や芸術・芸能などについて本音で語り合える人が私のまわりにはいないので、こんな時彼女がいたら楽しいのになあといつもおもっていることが夢につながったのかもしれない。

小さなシラーが開花

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コーカサス地方原産のシラー・ミッシェンコアナ


シラー・ミッシェンコアナ(Scilla mischtschenkoana)が開花した。直径2cmほどの小さな花が、地面すれすれに固まって咲いている。

シラーはキジカクシ科の植物で、分布はかなり幅広い。属名は「スキラ」と読まれることもある。

このミッシェンコアナはコーカサス地方原産で、名前の由来はソ連の植物学者ミッシェンコによるらしい。以前はシラー・チューベルゲニアナと呼ばれていた。

春咲きの小さなコルチカムが開花

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東欧原産の小さなコルチカムが開花


ここ数日の暖かさに誘われてコルチクム・フンガリクム(Colchicum hungaricum)の一亜種「ヴェレビト・スター」が開花した。

コルチクムは、和名がイヌサフランで、園芸では英語風に読んだコルチカムとして知られている。かつては形態からユリ科に分類されていたが、遺伝子解析が進むにつれて、イヌサフラン科として独立したグループとして扱われている。学名のコルチクムは、黒海沿岸のグルジア(ジョージア)に栄えていた王国「コルキス」に由来し、黒海沿岸や中東地域からヨーロッパの地中海沿岸地域に分布している。また花の形はサフランに似ているが、サフランはアヤメ科で系統が異なる。

コルチクムには大きく分けて秋咲きと春咲きがあり、秋咲きはグループは、季節になると水を与えなくても開花することで有名。

コルチクム・フンガリクムは種小名が示すようにハンガリーなどの中欧・東欧に分布し、なかでもこのヴェレビト・スターは、クロアチアのヴェレビト山脈が原産地。亜種の名前は、「ヴェレビトの星」ということなのだろう。日照に応じて開いたり閉じたりする。

花弁は直径2cmほど、基部は癒合して細い管状になっている。花そのものは小さくてかわいいが、球根はコルヒチンと呼ばれる猛毒を含むので、要注意。日照に応じて開いたり閉じたりする。

アマゾンから参考文献が届く

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先日アマゾンに注文したフランスの思想家シモン=ニコラ=アンリ・ランゲ(1736年~94年)の著作『現在の北方問題、とりわけポーランドの問題についての政治的・哲学的考察』(1773年)がさっそく届いたので、その内容をパラパラと眺めている。当時のヨーロッパでは、1772年のポーランド分割が大きな政治的話題になっていたが、その直後に出版され、ポーランドとその周辺地域の政治情勢を分析した内容になっている。

作品の書き出しはこんな感じだ。

「今日、北方で起こっていることは、全ヨーロッパの注目を集めている。現在であれ、未来であれ、ポーランド共和国の運命を決定するはずの出来事に関心を抱かない国民はすこしも存在しない。ドイツはその自由に関して、フランスは現在まで全ヨーロッパの政治問題に対してもっていた影響力のゆえに、スウェーデンデンマークは価値をもたせなくてはならない野望と維持しなくてはならない所有地のために、イングランドとオランダはとりわけ商業的な価値のために。さらに差し迫った関心、つまり人間愛への関心は、政府の幸運な変革がポーランド人が脅かされた一部の領土の喪失を補償することを、感じやすいすべての魂に欲求させる。」

ランゲは18世紀に活躍した毒舌で有名な弁護士、政論家、歴史家、経済学者で、フランス革命中に刑死。現在、『市民法理論』(1767年、大津真作訳、京都大学学術出版会)と『バスチーユ回想』(1783年、安斉和雄訳、現代思潮社)の2冊の邦訳がある。

ポーランド史関係の本が届く

ポーランド関係の本を翻訳するために、アマゾンに日本語で読めるポーランド史の本を注文したところ、さっそく届いた。1冊目は白木太一『近世ポーランド「共和国の再建 四年議会と五月三日憲法への道』(彩流社、2005年)、もう1冊は岡上理穂『中欧の不死鳥 ポーランド不屈の千年史』(出窓社、2019年)。今、それらにざっと目を通しているが、白木氏の著作はなかなかの力作。18世紀末のポーランドの政治情勢を知るのにさっそく役に立ちそうだ。一方岡上氏の著作は、副題の「千年史」が示しているように、ポーランドの通史。18世紀についての記述は少ないが、複雑なポーランドの歴史をコンパクトにまとめている。

これらのほかに、フランス語の参考文献として、ランゲの『現在の北方問題、とりわけポーランドの問題についての政治的・哲学的考察』(1773年)と、マルティの『18世紀後半におけるポーランドへのフランス人旅行者』(2004年)も注文中で、届くのが楽しみだ。

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新しい翻訳に着手

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遅まきながら、明けましておめでとうございます。本年も小ブログをよろしくお願いします。

 

さて、年末からシオドア・ドライザーの『アメリカの悲劇』を読んでいるのだが、これがまったくおもしろくない(笑)。全体の4分の1ほどまで読んだところで、さっぱり先に進まなくなってしまった。話がおもしろくないというより、叙述が平板なうえに、説明があまりにもくどいのだ。それでもなんとかしまいまで読み上げたいとはおもっているが(まだ1,000頁ほど残っている)、それはいったん中断して、前から気になっていた作品の翻訳に着手することにした。18世紀フランスの社会思想で、当時のポーランド問題がテーマだ。

17世紀までのポーランドは東欧の大国で、1683年にオスマン・トルコが神聖ローマ帝国を攻めたとき、ウィーンを包囲網から救出したことでも有名だ。ただし、ポーランドの王政は選挙制で、国王が亡くなるたびに混乱が生じ、18世紀には国力が弱まっていた。これに乗じてロシア、プロイセンオーストリアが国土を分割して奪い取り、最後には国家が消滅してしまうのだが、その直前の危機的な混乱のなかで、ポーランド愛国者たちはフランスに使節を送り、フランスの国家的対応と個々の思想家のポーランド改革案を求めていた。それに応じたものとして有名なのがルソーの『ポーランド統治論』(1771年)で、ルソー以外にも多くの思想家が改革案を提案している。

そうしたフランスの政治思想家の一人Mが、ポーランド貴族の招聘に応じて実際にポーランドを訪問し、ポーランド人と話し合った印象をまとめたのが、今回私が翻訳に着手した『政治家たちの饗宴』だ。作品は、語り手がポーランドの大貴族に招かれ、軍人、貴族の論客とともに会食しながらポーランドが進むべき方向について話し合うという架空の対話篇で、タイトルはおそらくプラトンの『饗宴』を意識している。

短い作品だが、会話が中心なのでくだけた表現も多く、それをどう日本語に置き換えるかに最初から四苦八苦している。たとえば、次のような箇所(左側のページの下の部分)。

 

Je riois quelquefois en voyant qu’on me soupçonnoit d'être chargé de quelqu’importante négociations, car le moyen de penser qu’avec toute ma science j’allasse m’enterrer dans un château?

 

内容的に難しいというより、car(「というのは」という意味で、英語のbecauseに相当)以下の部分の主語と述語の関係が、文法的によく分からないのだ。悩んだすえ、少し言葉を補って次のように訳すことにした。

 

「非常に学識があるのにとある城に引きこもりに行くと考えるのは困難ということで、私にはなんらかの重要な交渉が委ねられているのではないかと人々が疑うのを見て、私はしばしば笑ってしまいました。」

 

先は長いが、じっくり取り組むとしよう。