本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

カプチーノをおいしく飲むためのデカダンな実用性

本日はアルバイト休み。ということで昨晩は帰宅してからすこし精神的なゆとりがあったので、自分で生クリームを泡立て、細長い専用カップでフレッシュ・クリームたっぷりのカプチーノ・コーヒーを飲んだ。

この細長いカップで飲むカプチーノは至極の味わい

カプチーノ・コーヒーもウィンナ・コーヒーもカフェや喫茶店で注文すると平べったいカップにクリームをのせた状態で出てくるが、これだとクリームとコーヒーがすぐに混じってしまい結局カフェオレなどと同じような味になってしまう。しかしこの細長いカップにクリームを浮かべて飲むと、コーヒーとクリームは分離したままで、苦くて熱いコーヒーと甘くて冷たいクリームが舌のうえではじめて混じりあい、絶妙の風味になる。それは、自分でクリームを泡立てる面倒さなど軽くふっとぶような快感だ。

ただその心地よさを味わうためにはどうしてもこうした細長いカップが必要なのだが、ヘレンド以外のメーカーでは同じようなカップを見たことがない。またこのヘレンドのカップは、細長いカップが倒れないように、ソーサーに転倒防止用のガードがついていて、これもヘレンド独自の発想だ。

カプチーノ・コーヒーやウィンナ・コーヒーをおいしく飲むためにカップを細長くする。その細長いカップが倒れないよう、ソーサーにガードをつける。なんともデカダンな発想だとおもうが、そうしたデカダンな実用性は、ウィンナ・コーヒーのおひざ元オーストリア帝国を支配していたハプスブルク家の、古くから続いているということ以外にはもはや統治原理をどこにも見出すことができない行き詰った精神性につながっているのかもしれない。一見過剰な装飾も、その行き詰った精神性に見合っている。