本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

ヴェネツィアを舞台に女性たちの心の融合を描いた『ピエタ』

大島真寿美氏の小説『渦』と『結』がおもしろかったので、他にどんな小説を書いているのだろうと、それ以前に書かれた『ピエタ』(ポプラ文庫、2014年)を読んでみた。2011年に出版され、本屋大賞第3位に選ばれた作品だ。

18世紀ヴェネツィアを舞台にした大島真寿美の『ピエタ

舞台は18世紀中期のヴェネツィア、なかでも、捨て子救済施設<ピエタ>がメインの舞台となる。そしてこのピエタと切っても切れないのが作曲家のヴィヴァルディ(1678年~1741年)。ヴェネツィアで生まれたヴィヴァルディは、1703年にカトリックの司祭に叙階され、直後にピエタの音楽教師に就任した。この時期のヴィヴァルディの作品は、ピエタのコンサートで演奏することを前提にして作曲されている。ピエタで育てられた才能のある女子は、ヴィヴァルディなどの教師から英才教育を受け、水準の高いコンサートを行って、その収益をピエタの維持費に充当していた。

物語は、ピエタで暮らしているアンナ・マリーアが、ヴィヴァルディが亡くなったという知らせを受け取り、それを親友のエミーリアに告げに来る場面から始まる。アンナ・マリーアとエミーリアは、ともに45年ほど前に捨てられた孤児で、ピエタで育ったが、音楽の才のあるアンナ・マリーアはピエタの合奏・合唱副長を務め、事務の才があったエミーリアはピエタの事務長のような仕事をしている。

ピエタの仕事に一段落をつけたエミーリアは、寄付をつのるため、大貴族の寡婦ヴェロニカを訪問するが、そこでヴェロニカから、裏に詩が書いてあるヴィヴァルディの自筆譜を探していると告げられ、それが見つかったら高額の寄付を行うともちかけられる。その先は、楽譜を探すためにエミーリアがさまざまなヴィヴァルディ関係者を訪ね、生前のヴィヴァルディについて話を聴くという展開になる。

そのなかの一人に高級娼婦クラウディアがおり、エミーリアは楽譜探しに加えて、ヴィヴァルディの知られざる一面を知りたいという好奇心からクラウディアを訪ねる。クラウディアと会い、その人柄や高い見識を知ったエミーリアは、クラウディアにヴェロニカを紹介する。クラウディア、ヴェロニカ、エミーリア、育った環境があまりにも違うこの3女性の対面が、ある意味でこの作品のハイライトだろう。それは、3女性が意気投合するのに身分の違いはなんの関係もないということだ。

「あの夜のことを思い出すと、わたしはなんとも言いようのない、不思議な心地がする。クラウディアさんもヴェロニカもすっかり打ち解け、いつしか、ぽっかりと時の流れに浮かんでいるような気持になったものだった。これまで一度も味わったことのない、そう、なんといったらいいか、温かいお湯にでもつかっているかのような安心感に包まれていた。」(本書233頁)

この出会いから物語の時間の進行は早くなり、クラウディアの病気、彼女に対するヴェロニカの手厚い介護、クラウディアの死へと進む。親しい人間だけによるその弔いの最中、ヴェロニカが探していた楽譜は意外なところから見つかる。楽譜探しやヴィヴァルディの秘められた個人史を探るという糸はあるが、全体としては、エミーリアを軸にした女性たちの心の交流を描いた作品といえる。

ふりかえって考えてみると、大島氏の小説は、『ピエタ』も『渦』も『結』も、悪人が登場しない。大島氏はいわゆる善悪対立で物語をすすめようとはしておらず、あえていえば人間同士の<融合>が感じさせる作風だ。そしてまた、大島氏の文体の特徴の一つに、会話を書くとき、直接話法と間接話法が入り混じった独特の話法をつかうということが挙げらる。直接話法と間接話法を混ぜ合わせることで、一人称と三人称の境目があいまいになり、いつの間にか登場人物たちの<融合>が生じているということなのかもしれない。

空想上の人物たちの伝記『虚傳集』

奥泉光氏の新刊『虚傳集』(2025年、講談社)を読んだ。帯には「嘘も語れば実となる」とあるが、安土桃山時代から江戸時代にかけての空想上の人物を、あたかも実在した人物であるかのように語る、ユニークな趣向の歴史小説だ。

「嘘の語れば実となる」が謳い文句の『虚傳集』

取り上げられる人物は、剣術家、印地打ちの名人、仏像の彫刻家、からくり制作などを行った医師、幕末の志士の5人。いずれも歴史に残るような事績は行わず、無名のまま歴史のなかに消えていった人物たちとされ、彼らの生きざまを、ほとんど取り上げられることのない僅かな史料から掘り起こしたというたてまえの作品集だ。書き方はあくまでも堅実な歴史小説のスタイルをとっているが、引用されている<資料>も奥泉氏の創作で、言わば<嘘を嘘でさらに固めた>ような作品だ。

5人の活動分野はそれぞれだが、私が心惹かれたのは、第三話「寶井俊慶」の仏師・俊慶と、第五話「桂跳ね」の村中諒四郎のエピソード。

俊慶は、すぐれた腕をもつ仏師だが、自己の作品が単なる木の塊に過ぎず仏像の条件を満たしていないと指摘されたことから、真の仏像を求め続け、結果として何も作品を残すことなく世を去る。

また村中諒四郎は、旗本の三男で、剣術と将棋に才覚を発揮するが、幕末の騒然とした世相のなかで出奔し、尊王攘夷のグループに身を投じたものの、戦果を挙げる前に討ち死にする。

そうした、志はあっても結果として何もなさなかった人物に「虚傳」の名を借りて焦点をあてているところが、この作品集のおもしろさだ。

歴史は、何かを行った人物たちによってつくられているのではなく、何もなさなかった人物たちによってもつくられているというのが奥泉氏の語りたかったことだろうか。いや、そうした<実>よりも、レトリックの可能性を探ることこそが、奥泉氏の関心事なのだろう。

女性が文筆家として活動していくことの難しさを描いた『結』

大島真寿美氏の小説『結(ゆい) 妹背山婦女庭訓 波模様』(文春文庫、2024年、以下『結』と略記)を読んだ。直木賞受賞作『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(文春文庫、2021年、以下『渦』と略記)』の続編だ。

近松半二の娘を主人公とした『結』

前作『渦』は、江戸時代中期の人形浄瑠璃台本作者・近松半二(享保十年<1725年>~天明三年<1783年>)の生涯を描いた伝記小説。『結』の主人公は、その近松半二の一人娘・きみ。半二に娘がいたことは記録に残っているが、この女性がどういう人物だったかまでは伝わっていない。それともう一つ。近松半二の遺作は『伊賀越道中双六』(天明三年初演)で、この作品を半二は自分だけで完成できず、近松加作という人物が補佐・補作したとされているが、この近松加作がどういう人物かも知られていない。大島氏は、『伊賀越道中双六』の完成を手伝ったのは、半二の娘・きみで、加作はきみの偽名という大胆な仮説をたて、その仮説のもとで物語を進めていく。

きみは、生前の半二が人形浄瑠璃の台本を書くのをいつもそば見ており、血筋と経験から台本作者としてすぐれた素質をもっていたとされる。しかしいくら才能があっても、女性であるがゆえに、自分の名前を出して台本作者になることはできない。人形浄瑠璃の台本作者を心指して自分のまわりにあらわれる若者たちを手取り足取り教えこんで、次々とすぐれた台本を書かせていく。彼らが書いた台本は、実質的にきみの作品だ。

そんなきみをなんとか台本作者として世に出したいと奔走する人物も現れるが、きみはそれを受けいれず、影の作者であり続ける。そして世話になっている料理屋の板場をまかされている信六という男性と結婚するという生き方を選ぶ。

自分が影の作者として力を入れて書いた『絵本太功記』が成功したのを確認すると、きみは父親半二に託された近松門左衛門ゆかりの硯を半二の門人にゆずり、筆を絶つ。

『絵本太功記』をはじめとする近松半二後の人形浄瑠璃台本がどのようにして書かれていったのかという裏話的なおもしろさはあるが、『結』はむしろ、江戸時代に女性が男性に伍して文筆家として活動していくことの難しさを描いているといえそうだ。またそれは、男性作家にはない、大島氏独自の視点といえるだろう。そして、そうした独自の視点があることで、『結』は、単なる二番煎じから免れている。

文学論と人形論が合体した大島真寿美の『渦』

大島真寿美氏の小説『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(文春文庫、2021年、以下『渦』と略記)を読んだ。作品は、江戸時代中期の人形浄瑠璃台本作者・近松半二(享保十年<1725年>~天明三年<1783年>)の生涯を描いた伝記小説。

文学論と人形論が合体した『渦』

『渦』を読んでまず驚かされるのは、その特異な叙述スタイル。

大坂・道頓堀の人形芝居が話の中心になるので、登場人物たちが話す言葉は当然ディープな浪花弁なのだが、会話以外の地の文章も、それにつられてしばしば浪花弁になる。しかも、<会話>と<思い(心中独白)>が「」の記号なしでつながっていく箇所が非常に多いのだ。

歌舞伎の台本を書き始めた旧友・並木正三(久太)とのやり取りからそうした箇所を少し抜き出してみる。

 

     ※    ※    ※

 

 やられたなあ、と半二は嘆息する。あいつ、そんな気でおったんかい。歌舞伎かあ。歌舞伎なあ。

 浄瑠璃を書いたわけではないので、多少、気持ちを慰められもするが、出し抜かれたという思いにかられるのはどうしようもない。しかし底知れんやっちゃな、あいつは。まったく油断ならんで。

 おまけに正三てなんや、正三て。

道頓堀で久太をひっつかまえて、詰問した。おい、なんでお前、黙ってたんや。

久太はいつものようにのらのらとして、なんもかも、成り行きみたいなもんですわ、と笑っている。(本書47頁)

 

半二は諦め半分に思う。歌舞伎は所詮、役者のもんや。そこがもうひとつ、歌舞伎になじめんところや。と残念なような、どことなく安心したような。さぞかし正三もここで苦心してんのやろな、と慮る。客足も顔見世にしては鈍かったし、空きもぽつぽつ目立っていたし、これは早々に打ち切られるのではないかと思われた。致し方あるまい。ここはそういう世界なんや。厳しい世界や。(本書53頁)

 

     ※    ※    ※

 

テンポの速い、この独特の文体に引かれて読み進んでいくと、あっという間に話のなかに引きずり込まれてしまう。

ここで近松半二について少し説明すると、半二の父・穂積以貫は、儒学者伊藤仁斎の長男・東涯の弟子(渡辺浩氏『近世日本社会と宋学<増補新装版>』231頁参照)だが、人形浄瑠璃が好きで、近松門左衛門とは愛用の硯を譲り受けるほど親しかった。その影響で、半二も幼いころから人形浄瑠璃に入りびたり、家業を継がずに浄瑠璃の世界に飛び込む。とはいえ、最初から台本作者を目指していたわけではなく、雑用係として芝居に係るうちに、芝居の台本を書くようになる。試行錯誤を繰り返した台本作者への道だったが、宝暦十二年(1762年)に書いた『奥州安達原』の頃から作劇法も身につき、作者としての評判も高くなってくる。

 

「半二はふと、己の手をみた。指を動かしてみた。握っていない筆がみえた気がした。まだ書かれていない文字がみえた気がした。わしはわしのためだけに浄瑠璃を書いてんのやない、とふいに半二は思う。たとえばわしは、(竹田)治蔵を背負って書いとんのや。いや、それだけやない。それをいうなら、治蔵だけやのうて、筆を握ったまま死んでった大勢の者らの念をすべて背負って書いとんのやないか。ひょっとして浄瑠璃を書くとは、そういうことなのではないだろうか、と半二は思う。この世もあの世も渾然となった渦のなかで、この人の世の凄まじさを詞章にしていく。」(本書224頁)

これは単に台本作者・近松半二の内面を描写した文章ではないだろう。作家・大島氏自身の「ものを書くとはこういうこと」という文学論が、半二という作中人物を借りて表現されたのではないだろうか。主人公が文筆家ということで、この作品には文学論としてのおもしろさがある。

そしてもう一つ。半二の台本が人形浄瑠璃に向けたものであるので、人間が演じる歌舞伎芝居と操芝居(人形浄瑠璃)の違いに対する鋭い考察が、作品に奥行きを与えている。

「ままならぬのが人の世だ。艱難辛苦に翻弄され、泥にまみれていくのが人の世だ。醜い争いや、失望や、意図せぬ行き違い、諍い、不幸な流れ、辛い縁に泣き濡れて、逃れられぬ定めに振り回されていくばかりが人の世だ。それなのに、なぜうつくしい。そうよな。それが操浄瑠璃よな。半二はつるりとした、皴もなければ毛穴もない、なんのひっかかりもない、舞台のうえの、白い人形を凝視していた。そうや、操浄瑠璃はそもそも、うつくしいんや。汚いもん、洗い流して、うつくしいもん、みしてくれるんや。この世は汚いまんまやけどな。そんでも、汚いもんの向こうにうつくしいもんがある、いうとこをわしらにみしてくれとるんや。」(本書366頁)

「人形さんらはな、死なへんのや。死なへんくせに生きとんのや。わしらはその世界に束の間、浮かぶんや。」(本書367頁)

長くなってしまったが、文学論あり、人形論ありで、単なる伝記小説の枠を超えた優れた作品だと思った。

なお、本作は2019年に直木賞を受賞している。

江戸時代の民事訴訟を題材にした小説を読む

江戸時代の経済問題に切り込んだ『江戸の経済官僚』(徳間文庫、1994年)に続いて、同じ著者・佐藤雅美の時代小説『恵比寿屋喜兵衛手控え』(講談社時代小説文庫、2021年)を読んでみた。江戸・馬喰町の旅人宿・恵比寿屋の主・喜兵衛を主人公にした犯罪(推理)小説だ。

訴訟客を相手にした宿屋を舞台にした『恵比寿屋喜兵衛手控え』

作品冒頭の説明によれば、江戸時代の馬喰町には幕府公認の旅人宿が百軒ほどひしめいていたというが、恵比寿屋は、一見客を相手にする他の宿屋との違いを出すために、訴訟をかかえて地方から江戸に来る客を泊めて、その訴訟の世話をしている。物語は、喜兵衛の評判をきいて、越後から六助という若者が訪ねてくる場面から始まり、六助の訴訟の進行を追っていく。

六助の訴訟は、越後縮の買い付けを行っている兄が、手付金60両を着服したとして、四谷の住人・正十郎という男から手付金の返却を求められているというもの。現代でいえば民事の訴訟だ。

しかしこうした訴訟に慣れた喜兵衛の目からすると、六助の兄を訴えている訴訟人は素性の怪しい者で、訴訟自体がうさんくさい。そして、そうした怪しい者の怪しい訴訟を奉行所が受け付けたということ自体が、そもそもうさんくさい。物語は、訴訟事件そのものの黒白を追うのではなく、最初からうさんくさい臭いのした事件のうさんくささを明らかにする方向に向かう。

とまあ、こうした内容で、訴訟手続きを手助けする宿の存在、訴訟にかかる費用や訴訟の進行などを細かく追っているのが、この作品の味噌。犯罪を題材にしているが、いわゆる<謎解き>には距離を置いている。

平成六年の直木賞受賞作。

加賀乙彦『イリエの園にて』を読む

プルースト失われた時を求めて』の読書を中断しているあいだに、加賀乙彦の短編小説集『イリエの園にて』(集英社、1980年)を読んだ。加賀が愛するプルーストドストエフスキートルストイらの作家ゆかりの場所を訪ねた印象をもとにした幻想小説集だ。収載されているのは、「イリエの園にて」「ドストエフスキイ博物館」「ヤスナヤ・ポリャーナの秋」「カフカズ幻想」「月夜見」「ドンの酒宴」「教会堂」の7篇。このうち「ドストエフスキイ博物館」~「ドンの酒宴」は、日本文芸協会の代表として、高井有一西尾幹二とともにソ連を訪問した際の印象にもとづいている。

加賀乙彦の『イリエの園にて』

作品集の表題となっている「イリエの園」にては、1976年に加賀がプルースト失われた時を求めて』のコンブレーのモデルとなったフランスの町イリエ(現在名は『失われた時を求めて』にちなんでイリエ・コンブレーと改名されている)を訪ねた印象をもとにした作品で、イリエの町でかつてパリ留学時代に親しくしていていた文学研究者市久に会ったという想定が話の核になっている。

市久はもともとプルースト研究者で、留学生時代はプルーストの全小説の登場人物、建物、町などをカード化して情報を入力し、それとは別にプルーストが実際に出会った人物、建物、町などをカード化し、双方を照合比較してプルーストの想像力が現実をいかに拡大し変形するかを研究していたとされる。しかし彼はその研究に没頭したものの、留学期間を過ぎてもカード化(照合比較)を完成させることはできず、そのまま私費でパリにとどまって、いつしか音信不通になっていた。約二十年ぶりに偶然市久と遇ったKは、研究のその後や市久の生活について尋ねると、市久はイリエの町でプルーストの幻像と出会ったという話をする。

要するに「イリエの園にて」はプルーストに取りつかれた男の話なのだが、それがそのまま一人の男を一生虜にしてしまうプルーストの魅力の話になっている。

ドストエフスキイ博物館」「ヤスナヤ・ポリャーナの秋」「教会堂」は、加賀が、ドストエフスキートルストイカフカの幻像と出会い言葉を交わすという話だが、「イリエの園」に比べると構造はシンプルだ。

むしろおもしろいのは、「カフカズ幻想」と「月夜見」で、両作品はそれぞれ旧グルジヤ共和国(現ジョージア)、旧ウズベク共和国(現ウズベキスタン共和国)の訪問記だが、グルジヤではロシア帝国によるグルジヤ侵略の不当性を追体験し、ウズベキスタンではソ連の権力機構によって権威づけられているウズベク代表作家の虚ろな名声をかいま見る。

まずは「カフカズ幻想」。

加賀は、若きトルストイが歩兵旅団に志願し将校として訪れたグルジヤの現地を見てまわりながら、当時トルストイが何を見たのかに思いをはせる。

「(トルストイの小説)『侵入』では山人の部落を占領したロシア軍が、家々を斧でこわし、乾草の山や納屋に火をつけ、年寄のダッタン人を縛りあげる光景が語られる。『森林伐採』では、ダッタン兵に対して情容赦なく榴弾を撃ちこむロシア兵が活写されている。トルストイの対象を隈なく見透す目はロシア軍の残虐と掠奪を見なければならなかった。」(本書116頁)

「(ロシア皇帝)ニコライを卑小な侵略主義者として描き出すことによって、トルストイはロシアのカフカズ征服の正当性を否定している。しかし同時に、(チェチェンの教王)シャミーリの冷酷さをもトルストイは見落してはいない。ロシア軍と抗戦しているチェチェン人の教王のほうも完全な人間ではない。シャミーリとニコライと、二人の冷酷な権力者の間にあって、(チェチェン人の英雄)ハジ・ムラートは破滅せざるをえない。正義はむろんチェチェン人のほうにより多くある。が、チェチェン人の正義も十全ではありえない。では、一個の野人、ハジ・ムラートに正義があったのか。トルストイは、ハジ・ムラートが滅びねばならぬ必然を描出することによって、正義という言葉の空しさを示した。」(本書120頁)

「出来事に隠された真相を伝え、読者に衝撃を与える文章こそが文学なのだ。トルストイの優れた小説には、この真相の伝達への熱い意欲が通っている。(中略)単に現象をなぞり、詩心と幻想によって対象をやわらかにくるむような文章を排除するところに彼の文学は成立している。」(同書119頁)

トルストイにちなむ場所をいろいろ見てまわった帰り道、カフカズの高峰カズベック山を眺めながら、「あの山は誰の所有だろう」と加賀は慨嘆する。

次に「月夜見」。

ウズベクタシュケントで、加賀はウズベク作家同盟書記長、AA作家会議ウズベク委員会議長である詩人のババジャン氏を紹介され、自宅に招待される。そこで会食し、言葉を交わしながら、加賀はババジャン氏の文学的関心がどこにあるのか、理解できず、違和感をおぼえる。詩人と紹介されたにもかかわらず、ババジャン氏が語るのは、ひたすら自分の肩書、家族の自慢話だ。彼の口から文学談義は出でこない。しかししばらくして加賀は考えなおす。

「彼はまず作家同盟に所属し、所属することによって同盟を代表している。だからこそ、私たち日本文芸家協会の代表を歓迎しているのだ。(中略)作家同盟に所属している人間としてある彼は、作家同盟員であるウズベクの作家たちの恵まれた生活ぶりを外国人に対して誇示せねばならぬ。彼は自分と自分の家族について自慢しているのではなく、自国の作家たちを擁護しているのだ。」(本書144頁)

こう考えることによって加賀の心からこだわりが消える。

しかしその後話題が言葉と表記の問題になったとき、ババジャン氏はウズベク語がロシア文字で書かれるのは便利だと語る。しかしその便利という主張を加賀はやはり理解できない。

ウズベク語でしか書かぬというババジャン氏のように国語独特の発想と語彙に敏感な詩人が、ロシア語表記の言語で、伝統あるアラブ系の多くを失った言語により自在に詩を書けるのだろうか。」(本書147頁)

ババジャン氏はこの疑問には答えず、額の汗をハンカチで押える。加賀がウズベクで見たものは、ひたすら体制の一員として生きる詩人の姿だった。

     ※     ※     ※

加賀乙彦の作品というとリアリズムの印象があるのだが、この作品集には、それとはちょっと違う加賀の魅力が詰まっていた。

佐藤賢一『かの名はポンパドール』を読む

佐藤賢一の『かの名はポンパドール』(世界文化社、2013年)を読んだ。もちろん、ルイ15世の寵姫ポンパドゥール侯爵夫人(1721年~64年)の伝記を題材にした歴史小説だ。

直前にミットフォードによるノンフィクションの伝記『ポンパドゥール侯爵夫人』(邦訳:柴田都志子、東京書籍、2003年)を読んだばかりなので、同じことを読まされるだけでもしかするととてもつまらないのではないかという不安があったのだが、それからすると意外におもしろかった。

18世紀のパリが生々しく描かれている『かの名はポンパドール』

そのあたり、まずは小説の冒頭を引用してみる。

「夕暮れのパリは混み合う。大通りといえども、道幅はほんの数ピエしかないからである。背の高い建物が左右の路肩に屹立し、どこ逃げる広さもみつかりはしない。そこに売り子の声が四方八方から響いて聞こえ、馴れない田舎者の頭をクラクラさせにかかる。食いもの屋、露店の類も少なくなければ、小麦が焼け、脂が焦げ、はたまた安酒が酸化して、それが混ざり合うことで、一種独特の臭いを充満させてもいる。なんとか吞まれずに済んだとしても、なお歩くのが容易でない。(中略)母親と子供が二人――八歳の女の子と五歳の男の子の姉弟で、いくらかはしゃいだ様子だった」(本書28頁)。

18世紀のパリの街頭のゴチャゴチャとした光景、それも臭いの描写からはじまって、とても具体的なので、すぐに小説世界のなかに引き込まれる。佐藤は、旧体制下のフランスを題材とする小説では第一人者だけに巧みな導入だ。

本文の事実描写は、ミットフォードの丹念な伝記などをきちんと参照しているようで、ポンパドゥール夫人に関する事実をもれなくひろい集めている。

ミットフォードの評伝にない佐藤の作品の独自のネタでは、晩年のポンパドゥール夫人とモーツァルトの出会い(これは事実)の場面が面白い。

「まだ八歳で、まだ男の子も女の子もないような、小さくて、丸くて、柔らかくて、思わず握りしめたくなる両手を元気に躍らせながら、やはり可愛らしい十本の指で横並びの鍵盤を弾いていく。間違えないか、間違えないかとハラハラするも、じき舌を巻かされる。機械仕掛けの人形か何かと勘繰りたくなるくらいに、正確な演奏だったからである。この幼さでどれだけの練習を積んできたかと、可哀相にも覚えて尋ねてみれば、今のこの場で思いついたばかりの曲だという」(本書380頁)。

「あの子の音楽を聴いているうち、わたくし、本当に神々と遊んでいる気がしてきました」(同381頁)。これが、佐藤が書く、モーツァルトの演奏を聴いてのポンパドゥール夫人の感想で、亡くなる数カ月前のポンパドゥール夫人の至福の瞬間として描かれている。

元々婦人雑誌に連載された小説のせいか、作品全体としては、描写の焦点は<寵姫>という特異な存在そのものにあるようにおもわれる。それを、ポンパドゥール夫人の内面に入り込んだり、彼女の実弟アベルの言葉を借りたりしながら、佐藤は自在に綴っていく。もっとも、寵姫としてルイ15世の傍らにいた期間が長くなってからのポンパドゥール夫人とルイ15世のやり取りは、どこにでもいる老夫婦のやり取りのようで、18世紀とかフランスをあまり感じない。このあたりは、フィクションの難しさだろう。

ポンパドゥール夫人に対する私の関心は、1750年代になってフランスの政治情勢・国際情勢が緊迫していくなかでの彼女のはたらきや周囲の人物の動きにあるのだが、残念ながら、その点では物足りなかった。