プルースト『失われた時を求めて』の読書を中断しているあいだに、加賀乙彦の短編小説集『イリエの園にて』(集英社、1980年)を読んだ。加賀が愛するプルースト、ドストエフスキー、トルストイらの作家ゆかりの場所を訪ねた印象をもとにした幻想小説集だ。収載されているのは、「イリエの園にて」「ドストエフスキイ博物館」「ヤスナヤ・ポリャーナの秋」「カフカズ幻想」「月夜見」「ドンの酒宴」「教会堂」の7篇。このうち「ドストエフスキイ博物館」~「ドンの酒宴」は、日本文芸協会の代表として、高井有一、西尾幹二とともにソ連を訪問した際の印象にもとづいている。
作品集の表題となっている「イリエの園」にては、1976年に加賀がプルースト『失われた時を求めて』のコンブレーのモデルとなったフランスの町イリエ(現在名は『失われた時を求めて』にちなんでイリエ・コンブレーと改名されている)を訪ねた印象をもとにした作品で、イリエの町でかつてパリ留学時代に親しくしていていた文学研究者市久に会ったという想定が話の核になっている。
市久はもともとプルースト研究者で、留学生時代はプルーストの全小説の登場人物、建物、町などをカード化して情報を入力し、それとは別にプルーストが実際に出会った人物、建物、町などをカード化し、双方を照合比較してプルーストの想像力が現実をいかに拡大し変形するかを研究していたとされる。しかし彼はその研究に没頭したものの、留学期間を過ぎてもカード化(照合比較)を完成させることはできず、そのまま私費でパリにとどまって、いつしか音信不通になっていた。約二十年ぶりに偶然市久と遇ったKは、研究のその後や市久の生活について尋ねると、市久はイリエの町でプルーストの幻像と出会ったという話をする。
要するに「イリエの園にて」はプルーストに取りつかれた男の話なのだが、それがそのまま一人の男を一生虜にしてしまうプルーストの魅力の話になっている。
「ドストエフスキイ博物館」「ヤスナヤ・ポリャーナの秋」「教会堂」は、加賀が、ドストエフスキー、トルストイ、カフカの幻像と出会い言葉を交わすという話だが、「イリエの園」に比べると構造はシンプルだ。
むしろおもしろいのは、「カフカズ幻想」と「月夜見」で、両作品はそれぞれ旧グルジヤ共和国(現ジョージア)、旧ウズベク共和国(現ウズベキスタン共和国)の訪問記だが、グルジヤではロシア帝国によるグルジヤ侵略の不当性を追体験し、ウズベキスタンではソ連の権力機構によって権威づけられているウズベク代表作家の虚ろな名声をかいま見る。
まずは「カフカズ幻想」。
加賀は、若きトルストイが歩兵旅団に志願し将校として訪れたグルジヤの現地を見てまわりながら、当時トルストイが何を見たのかに思いをはせる。
「(トルストイの小説)『侵入』では山人の部落を占領したロシア軍が、家々を斧でこわし、乾草の山や納屋に火をつけ、年寄のダッタン人を縛りあげる光景が語られる。『森林伐採』では、ダッタン兵に対して情容赦なく榴弾を撃ちこむロシア兵が活写されている。トルストイの対象を隈なく見透す目はロシア軍の残虐と掠奪を見なければならなかった。」(本書116頁)
「(ロシア皇帝)ニコライを卑小な侵略主義者として描き出すことによって、トルストイはロシアのカフカズ征服の正当性を否定している。しかし同時に、(チェチェンの教王)シャミーリの冷酷さをもトルストイは見落してはいない。ロシア軍と抗戦しているチェチェン人の教王のほうも完全な人間ではない。シャミーリとニコライと、二人の冷酷な権力者の間にあって、(チェチェン人の英雄)ハジ・ムラートは破滅せざるをえない。正義はむろんチェチェン人のほうにより多くある。が、チェチェン人の正義も十全ではありえない。では、一個の野人、ハジ・ムラートに正義があったのか。トルストイは、ハジ・ムラートが滅びねばならぬ必然を描出することによって、正義という言葉の空しさを示した。」(本書120頁)
「出来事に隠された真相を伝え、読者に衝撃を与える文章こそが文学なのだ。トルストイの優れた小説には、この真相の伝達への熱い意欲が通っている。(中略)単に現象をなぞり、詩心と幻想によって対象をやわらかにくるむような文章を排除するところに彼の文学は成立している。」(同書119頁)
トルストイにちなむ場所をいろいろ見てまわった帰り道、カフカズの高峰カズベック山を眺めながら、「あの山は誰の所有だろう」と加賀は慨嘆する。
次に「月夜見」。
ウズベクのタシュケントで、加賀はウズベク作家同盟書記長、AA作家会議ウズベク委員会議長である詩人のババジャン氏を紹介され、自宅に招待される。そこで会食し、言葉を交わしながら、加賀はババジャン氏の文学的関心がどこにあるのか、理解できず、違和感をおぼえる。詩人と紹介されたにもかかわらず、ババジャン氏が語るのは、ひたすら自分の肩書、家族の自慢話だ。彼の口から文学談義は出でこない。しかししばらくして加賀は考えなおす。
「彼はまず作家同盟に所属し、所属することによって同盟を代表している。だからこそ、私たち日本文芸家協会の代表を歓迎しているのだ。(中略)作家同盟に所属している人間としてある彼は、作家同盟員であるウズベクの作家たちの恵まれた生活ぶりを外国人に対して誇示せねばならぬ。彼は自分と自分の家族について自慢しているのではなく、自国の作家たちを擁護しているのだ。」(本書144頁)
こう考えることによって加賀の心からこだわりが消える。
しかしその後話題が言葉と表記の問題になったとき、ババジャン氏はウズベク語がロシア文字で書かれるのは便利だと語る。しかしその便利という主張を加賀はやはり理解できない。
「ウズベク語でしか書かぬというババジャン氏のように国語独特の発想と語彙に敏感な詩人が、ロシア語表記の言語で、伝統あるアラブ系の多くを失った言語により自在に詩を書けるのだろうか。」(本書147頁)
ババジャン氏はこの疑問には答えず、額の汗をハンカチで押える。加賀がウズベクで見たものは、ひたすら体制の一員として生きる詩人の姿だった。
※ ※ ※
加賀乙彦の作品というとリアリズムの印象があるのだが、この作品集には、それとはちょっと違う加賀の魅力が詰まっていた。