本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

『失われた時を求めて』~「ソドムとゴモラ」を読む

マルセル・プルーストの長篇小説『失われた時を求めて』~第四篇「ソドムとゴモラ」を読み終えた(1921年~22年刊、邦訳:鈴木道彦氏訳、集英社文庫)。

「ソドムとゴモラ

物語の最初の部分は、第三篇「ゲルマントの方」の続きで、パリのゲルマント大公婦人の夜会が舞台、後半はフランス北部の海岸にある保養地バルベックが舞台となる。

冒頭で、主人公が偶然、ゲルマント大公の従弟シャルリュス男爵と元チョッキ仕立て職人ジュピアンの密会を目撃する場面が描かれ、ソドム(男性の同性愛)とゴモラ(女性の同性愛)が第四篇の大きなテーマになることが示唆される。ちなみにゴモラの方は、主人公の恋人アルベルチーヌに同性愛の経験があるのではないかという疑念が中心。

プルーストが同性愛者で、アゴスティネリという青年にほれ込んだのは有名な事実だ。しかし「ソドムとゴモラ」のなかで同性愛者として描かれるのは、上述のシャルリュス男爵であり、このためそのエピソードは、上流階級に属する人物の奇怪な行動の描写と受け取れなくもない。その一方で、作品の主人公の恋人アルベルチーヌのなかには実在人物であるアゴスティネリから受けた印象が反映されているというが、二人の性の違いから、それが同性愛からくる心情として吐露されることもない。要するに、作品のなかに同性愛者を登場させ、そのさまざまな行動を描写しながら、「ソドムとゴモラ」は、表層的な一種の風俗描写に終わってしまっているようにもおもえるのだ。「ソドムとゴモラ」の刊行年を考えると、このあたりが同性愛描写の限界だったのだろうか。

さてこうした要素の他に、「ソドムとゴモラ」では、<心の間歇>と題して、バルベックのホテルで、主人公が亡くなった祖母を回顧する場面が挿入される。

ただし全篇は、ゲルマント大公婦人の夜会とバルベックで開かれるヴェルデュラン夫人の夜会での会話や細かいエピソードの紹介が大半で、それをとおして、大貴族ゲルマント大公夫人と大金持ちのブルジョワ・ヴェルデュラン夫人の夜会開催の目的、夜会の雰囲気、客層の違いの対比等に大きく筆が割かれる。ヴェルデュラン夫人の夜会は通俗的だが、ではゲルマント大公夫人の夜会が高尚かというと、結局はそれもインテリジェンスのない人たちの集まりで通俗的であり、ただ招かれた人たちの家柄がいいだけというだけだ。

内容的には以上のような感じだが、作品の出来・不出来は別にして、どうもこうした作品構成は、肌が合わない。さまざまな土地の名前の由来の紹介も、それに興味がある人には良いかもしれないが、私などはつい読み飛ばしたくなる。ということで、第五篇以降を読み通すことができるのか、ちょっと不安になってきた。

なお、『失われた時を求めて』という作品の中で、プルーストの生前に刊行されたのはこの「ソドムとゴモラ」まで。