本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

『失われた時を求めて』~「ゲルマントのほう」を読む

マルセル・プルーストの長篇小説『失われた時を求めて』~第三篇「ゲルマントのほう」を読んだ。前半は高遠弘美氏の翻訳(光文社文庫)で読んだのだが、高遠氏の翻訳が途中で止まっているので、後半は鈴木道彦氏の翻訳(集英社文庫)で読んだ(厳密に書くと、高遠氏の翻訳のタイトルは<ゲルマントのほう>、鈴木氏の翻訳のタイトルは<ゲルマントの方>)。二人の訳の調子の違いはそれほど気にならなかったのだが、鈴木氏の固有名詞の表記(例: Dreyfusが高遠氏の表記では<ドレフュス>、鈴木氏の表記では<ドレーフュス>)にはちょっと戸惑った。

前半は高遠氏の訳(左)で、後半は鈴木氏の訳で読んだ(右)。

さて<ゲルマントのほう>では、主人公が幼い頃過ごしたコンブレーであこがれていた二つの道(社会)のうち二番目のゲルマント一族との交際が語られる。

主人公がゲルマント一族と親しくなるきっかけとなったのは、祖母の体調不良によるゲルマント館の一画への転居。もちろんここはゲルマント公爵夫人の住まいであり、ここで毎朝ゲルマント公爵夫人の起居を観察しているうちに、公爵夫人に対する思いがつのるが、なかなか親しくなることができない。

そうこうするうちに祖母は体調を悪化させて亡くなる。この場面は、「ゲルマントのほう」の山場といえるだろう。

その後、あるサロンで主人公はゲルマント公爵夫人に声をかけられ、その家に招待される。このあとは、ゲルマント家への最初の訪問の様子が延々と続くが、主人公は若い時にあこがれていたゲルマント公爵夫人のなかに通俗さを見出し、幻想が消え去る。

個人的には、ゲルマント公爵夫人に幻滅するためにゲルマント家の描写をこれほど長々と書く必要があったのか疑問。ともかく、これで『失われた時を求めて』を約半分読んだことになるが、しばらく小休止だ。