高遠弘美氏訳の『失われた時を求めて』(光文社文庫)を、現在刊行されている第6巻まで読み終えたので、続きを誰の翻訳で読んだらいいか決めるあいだに、『セヴィニェ夫人手紙抄』(井上究一郎氏訳、岩波文庫、1943年刊)を読んだ。
セヴィニェ夫人(1626年~96年)は17世紀フランスの貴族女性で、本名はマリー・ド・ラビュタン=シャンタル。1644年にセヴィニェ侯爵と結婚したが、夫は決闘の際の傷が元で1951年没。その後は独身をとおした。長女フランソワーズがグリニャン伯爵と結婚し、1671年に夫の任地プロヴァンスに同行したのをきっかけに娘と文通をはじめ、他の人との手紙のやり取りを含めて名文家として知られるようになった。
岩波文庫版の『セヴィニェ夫人手紙抄』は、1667年から1672年にかけての、セヴィニェ夫人の手紙としては比較的初期のものをまとめたもの。日ごとにパリから遠ざかってゆく娘グリニャン夫人への思いを切々と記している。
「筆にあらはせるほどなら、私の悲しみも至つて平凡なものでせう。そのやうなことを、してみやうとも思ひません。私の愛する娘の姿は、どんなに探しても、もう見つからない。そしてその足どりが、一歩一歩、私と娘との間を遠ざけてゆくのです。」(本書47頁、1671年2月6日付けのグリニャン夫人への手紙)
「この土地にしろ、この庭にしろ、私があなたの姿を見かけなかつた箇所は一つもありません。(中略)しかし振り返つても探しても、もうあなたはゐない。かくも情熱をこめて愛するいとしい子は二百里も離れてゐて、もうとらへることはできない。さうすると抑へようにも抑へられないで泣いてしまひます。もうどうする力もないのです。これは確かに心の弱い證據です。しかし私としては、こんなにも正當な、こんなにも自然な愛情にさからつてまで、強くはなれません。」(本書112頁、1671年3月24日付けのグリニャン夫人への手紙)
パリから地方に行く移動手段としては馬車しかなく、安否確認手段としては手紙しかなかった時代、別離の感覚はとても強烈で、それだけに手紙に託す思いも、現代とは比較にならないほど強かったことがうかがえる。
ところで、私がセヴィニェ夫人の手紙を読んでみたいとおもったのは、『失われた時を求めて』のなかで、主人公の祖母がセヴィニェ夫人の文章を非常に好み、ことあるごとに夫人の手紙を引用しているため。今回岩波文庫版の『セヴィニェ夫人手紙抄』を読んで、その理由が完全に納得できたという訳ではないが、それでも、19世紀末のいまだに馬車による移動と手紙が主流の時代、セヴィニェ夫人の世界はそれほど遠い過去のものと感じられなかったのではないかということは理解できた。
ちなみに、岩波文庫版の『セヴィニェ夫人手紙抄』の翻訳者・井上究一郎氏は、個人としてはじめて『失われた時を求めて』を日本語で翻訳したことでも知られる。彼がセヴィニェ夫人の手紙に関心を抱き、それを翻訳紹介した背景には、やはり『失われた時を求めて』の存在があったのではないだろうか。
この岩波文庫版書簡集の附記を読むと、刊行された『セヴィニェ夫人手紙抄』は前編で、当初その後の手紙も翻訳出版する予定だったものが、そのまま最初の部分だけで終わってしまったということらしい。刊行年が古い(第二次世界大戦中)ので、計画中断の詳しい経緯は分からない。翻訳計画が途中で止まってしまったのは、残念だ。