横光利一(1898年<明治31年>~1947年<昭和22年>)の代表的短編小説と中編小説を集めた『日輪・春は馬車に乗って』(岩波文庫、1981年)を読んだ。横光利一の名前は知っていても、今まで作品を読んだことがまったくなかったのだが、きっかけとなったのは森敦。横光は森敦を見出し、結婚の媒酌までしたというので、この機会に読んでみようとおもいたった。
さて岩波文庫の作品集のなかで一番おもしろかったのは中編『機械』(昭和6年)。これはあるネームプレート製作所の話。ここで横光は、後のフランスのヌーヴォー・ロマンをおもわせるような文体創出の工夫をしている。そして単に新しい文体で書いたというだけでなく、それをつかって独自の物語を紡ぎ出すことに成功しているようにおもった。
その文体の一例を引くと、こんな感じだ。
「さてその日主人と私は地金を買いにいって戻って来るとその途中主人は私に今日はこういう話があったといっていうには自分の家の赤色プレートの製法を五万円で売ってくれというのだが売って良いものかどうかと訊くので、私もそれに答えられずに黙っていると赤色プレートをいつまでも誰れにも考案されないものならともかくもう仲間たちが必死にこっそり研究しているので製法を売るなら今の中だという。それもそうだろうと思っても主人の長い苦心の結果の研究を私がとやかくいう権利もなしそうかといって主人ひとりに任しておいては主人はいつの間にか細君のいうままになりそうだし、細君というのはまた目さきのことだけより考えないに決まっているのを思うと私もどうかして主人のためになるようにとそればかりがそれからの不思議に私の興味の中心になってきた。」(同書152頁)
日本文学史のなかで横光は新感覚派とされるだが、旧感覚派も読んでいない私には、新旧の是非の判断はできない。ただこの『機械』は、横光の意図がいきて、今読んでみても斬新な印象だ。作品は、主人公の視点をとおしたこうした説明的な長い文章が延々と続いていくのだが、そのため逆に客観的な事実は曖昧になり、従業員の死という事態が生じてもその真因は不明のまま終わる。
これ以外で印象に残った作品は『春は馬車に乗って』(昭和2年)と『花園の思想』(昭和3年)。両作品は横光の妻の看病記だが、看取っている主人公の心理はあまり深追いせず、さらりと書いているところが優れているとおもった。『機械』の主観的描写とはまったく逆だ。
作品集の表題作『日輪』(大正13年)と『蝿』(大正13年)は横光の文壇デビュー作だが、私にはその真価がよく分からなかった。