本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

翻訳までの経緯④ーー 共訳者からの連絡

自分の「翻訳史」、ここからはごく簡単に。

私が古都の大学と最初に『精神について』の翻訳について話し合った頃は、まだ全体の三分の一程度しか翻訳していなかったので、生意気にも、「出版していただけるのは大変ありがたいのですが、まずは作品全体を翻訳してから話を進めさせていただきたい」といった趣旨のことを伝えた。それから全体を一とおり訳了するまで2~3年かかったとおもう。本文を訳了すると今度は、どのような経緯で『精神について』の出版許可が取り消されたのかに興味がわき、書簡集を入手して、書簡と史料の抜粋も翻訳した。

こうして一とおりの初訳が終わった時点で、今度は、「個人訳だと見落としがあるかもしれないので、もう一人別の方と一緒に訳稿を見直しして、原稿を完成させて欲しい」と出版元から依頼され、共訳者も紹介された。ただその人の翻訳に関する考え方や訳語の選択が私とかなり違うので、この共同作業はかなり骨が折れそうだと感じた。それに加えてこの担当者が関西方面に住んでいることからなかなか意思が疎通せず、ちょっと嫌気がさして、訳稿の見直しを含めて翻訳に関してはすべてその人に任せることにし、私は翻訳作業から身を引いた。

著者の書簡集も、もうボロボロになってしまった

なので私は、もう自分が『精神について』の訳稿を読むことはないと考えていたのだが、今年になり、共訳者から連絡が入った。印刷出版にかける前に、私ももう一度訳稿に目をとおして欲しいという趣旨だった。そしてその直後に、その人が見直した第二稿が送られてきた。このため、その第二稿を校正しているのが現状だ。連絡者が、私のつたない訳を徹底的に手直ししてくれたので、ほんらいであれば、校正といってもさっと目をとおすだけでいいはずなのだが、それでもやはり気になる箇所がいくつかあり、毎日ふうふう言いながら校正している。

ちなみに一昨日は、2005年に私の学会報告を手伝ってくれ、その後の翻訳作業や出版社とのやりとりでもいろいろ相談にのってくれたYくんの命日だった。私がまた『精神について』の訳稿を読み始めたときいたら、Yくんはきっと苦笑いするのではないだろうか。命日ということでご実家の方とは電話でちょっと話をしたが、Yくんが亡くなったのはコロナ騒動がはじまったばかりの頃だったので、今もまだ墓参りに行けていない。この翻訳、Yくんのためにもがんばらねば!?