本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

自分の本のサンプルができる

一生懸命校正した甲斐あって、自分の翻訳作品『ポーランド問題について』(仮題)のサンプルができあがった。18世紀当時にポーランドがおかれていた状況の説明のための地図も、同時代の寓意画も、うまく処理されている。まだ細かい校正が残っているが、10月初旬には完成して発売できそうだ。

ポーランド問題についての翻訳のサンプルができた!

そんなことで喜んでいたら、知り合いがポーランドに行くという情報が飛び込んできた。ポーランド人が私の翻訳をどう受け取るか自分としても興味があるので、さっそくその知り合いに会いに行き、「ポーランドに行ったら、どなたか関係者にこのサンプルをわたし、日本にはこういうことをやっている人間もいると伝えて欲しい」と頼み込んだ。反応が楽しみだ。

自分の翻訳の出版準備がすすむ

新しいアルバイトを始めて、仕事内容を覚えなくてはならないと夢中になっているうちに、『ポーランド問題について』(仮題)の出版準備がだいぶ進んだ。

出版準備がすすみ、『ポーランド問題について』(仮題)の図版を校正


昨日と今日は、装丁者から巻頭の口絵や参考地図の初稿が送られてきたので、その校正に追われていた。この間までのように毎日校正とはいかないので、休みをどううまく使うか、自分のスケジュール管理もちょっと大変だ。

それでも巻頭のイレギュラーなレイアウトやそれに合わせた説明文もほぼうまく行ったので、あとの作業は本文、訳注、解説などの見直しがメインだ。本文は、原稿をわたす前にだいぶ丁寧に読んだつもりだが、それでも細かい部分で直したいところがでてくる。それと解説は、現在の自分の考えを反映させたいので、どうしても直しが多くなる。

とはいえ、本文の部分的な直しなどは全体の流れには影響しないので、もう一度じっくり読めば校了だ。

9月末か10月初めにはなんとか出版したい。

街路樹の下でツルボが開花

ポストに行く途中、街路樹の下の植え込みを見たら、日本の野草、ツルボ(Barnardia japonica)が咲いていた。ピンクのかわいらしい植物だ。例年9月末に咲くような気がするので、今年は開花が少し早いようだ。

街路樹の下でツルボが咲き出した

寓居で鉢植えで育てているツルボも、開花はまだだが、花茎がグングン伸びている。

鉢植えのツルボも花茎がグングン伸びている

ツルボはキジカクシ科の球根植物なので、ムスカリやラケナリアと雰囲気が似ている。

通常、秋に花茎を伸ばして1本の花茎に多数の花をつけ、その後に葉が伸びる。葉は冬いったん枯れ、春にもう一度伸びたあと、夏に枯れ、地上から姿を消して休眠する。そして秋にまず花茎を伸ばして次の生育を開始するという生長サイクルだ。

原種グラジオラス「アクァモンタヌス」が発芽

原種グラジオラスの一種、Gladiolus aquamontanus(グラディオルス・アクァモンタヌス)が早くも発芽した。

長く伸びた芽の右側(鉢の中央あたり)に2芽発芽しました。

この品種は、南アフリカ・西ケープ州のSwartberg山脈に自生しており、自生地は冬に雨が降る地域だ。したがって、普通の栽培方法としては、秋に水やりを開始して秋から冬にかけてじっくり成長させ、春の開花を待つという生育サイクルなのだが、晩春に葉が枯れてから戸外で管理していたところ、特に水やりもしないのに8月中旬に最初の球根が自然に発芽した。このためあわてて植え替えて、鉢が乾燥するとときどき水を撒いていたのだが、今朝観察したら、2番目、3番目の球根も発芽していた。最初に発芽した芽(葉)は、もう20cmほどに伸びている。

自生地の自然環境がよく分からないのだが、夏に雨が少ないといっても南アフリカ東部の海岸地帯のような極端な少雨ではなく、夏も少量の雨が降り、それに合わせて早めに発芽するのかもしれない。

強健な品種だ。

新しいアルバイトが決まる

新しいアルバイトに採用決定ということで、先週から、東新宿の職場に通い始めた。派遣会社はこれまでと同じなのだが、仕事内容がこれまでと全然違うので、どういう風に仕事をしたらいいか、ちょっと戸惑っている。休みも、これまではずっと週末休みだったのだが、新しい仕事は、交代で休日出勤もあるという。いわゆるシフト制だ。

新しいアルバイトが決まり、東新宿の職場に通い始めた

ただ新しい職場に行ってみたら、私と同じ事情で渋谷区の職場を辞めて異動してきた上司や同僚がたくさんおり、みんな仕事探しの苦労を共有しているので、何も言わなくても気心が通じる。職場の雰囲気がとてもいいのが新しい仕事の救いだ。

DVDで50年代のミュージカル映画を観る

『精神について』の校正のあいまに、ヴィンセント・ミネリ(1903年~86年)が監督した1950年代のミュージカル映画のDVDを立て続けに3本観た。『巴里のアメリカ人』(51年、ジーン・ケリー主演)、『バンド・ワゴン』(53年、フレッド・アステア主演)、『恋の手ほどき』(58年、モーリス・シュヴァリエ主演)だ。挿入曲とダンスがしゃれているのはすぐに分かるのだが、今観ると、3本ともストーリーがものすごく安易という気がする。というか、ストーリーがなきに等しい。それでもみんな喜んでみていたのが、50年代のアメリカン・ミュージカルだったのだろうか。

1950年代にヴィンセント・ミネリが監督したミュージカル映画

3本それぞれについて具体的に書くと、まず『巴里のアメリカ人』(米アカデミー賞6部門受賞)は、画家ジェリー(ジーン・ケリー)とリズ(レスリー・キャロン)が恋仲になるが、リズには結婚を誓った相手アンリ(ジョルジュ・ゲタリ)がいるという設定。最後にアンリがあまりにもあっさり身をひくところが、私としてはどうもすっきりしない。ドラマとして考えると、ここでもう一波乱あってもいいのではないかという気がするのだ。ただし、映画の導入部の演出はしゃれててとてもいい。最後のジーン・ケリーレスリー・キャロンの踊りも、理屈を超えて圧巻だ。

『バンド・ワゴン』は、脚本という意味では、今回観た3本のなかで一番練れているかもしれない。あえてジャンル分けすれば、バックステージものということになるのだろうか。最初にエヴァ・ガードナーが本人役で登場したシーンはびっくりしたし、舞台をつくりあげていく途中の細かいエピソードの紹介も、それ自体とてもおもしろいとおもった。ミュージカルを制作する行為そのものを作品化しているので、歌や踊りのシーンも、ドラマの一コマとして自然に処理されている。ただその分、最後の踊りのシーンなどは、幻想に徹した『巴里のアメリカ人』に比べると、ちょっとおとなしい。

恋の手ほどき』(米アカデミー賞9部門受賞)は、台本的には一番問題があるのではないだろうか。脚本アラン・ジェイ・ラーナー、作曲フレデリック・ロウという『マイ・フェア・レディ』のコンビで、ジジ(リスリー・キャロン)という娘に、よい結婚相手に見初められるための行儀作法をほどこしていくという物語は、まさに『マイ・フェア・レディ』にとてもよく似ているのだが、ガストン(ルイ・ジュールダン)という大金持ちがあまりにも簡単にジジにほれ込んで、ジジもわりとあっさりそれを受け入れるという展開なので、流れがものすごく平板に感じられる。ガストンとジジが惚れ合うけどそこに恋敵が出現して一波乱とか、この作品も展開にもう一工夫あってもいいのではないかとおもう。ただし、撮影や衣装はすごい。20世紀はじめのベルエポックのパリが舞台で、かつガストンは大富豪という設定なので、そういう絢爛豪華さは圧巻。高級レストラン、マキシムでのシーンも見ごたえがある。

役者では、『巴里のアメリカ人』と『バンド・ワゴン』に脇役で出ていたオスカー・レヴァントに感心。ピアニストが本職なので、ピアノを弾くシーンを代役なして演じて、それがすごく自然だし迫力あるとおもった。

ところで、これらのミネリ監督のミュージカル映画と1960年代のミュージカル映画は、雰囲気が全然違うのだが、それはどうしてだろうか。60年代のミュージカル映画ということですぐに念頭に浮かぶのは、『ウェストサイド物語』(61年、ロバート・ワイズ&ジェローム・ロビンズ監督)、『マイ・フェア・レディ』(64年、ジョージ・キューカー監督)、『サウンド・オブ・ミュージック』(65年、ロバート・ワイズ監督)だが、いずれも物語がしっかりしている。

するとまず考えられるのは、TVの影響。 アメリカでTVが本格的に普及したのが何年か正確には知らないが、TVが普及すると、それまでミュージカル映画が誇っていた歌と踊りは、ある程度TVのバラエティー番組に代わられるようになり、映画は違う方向を目指すようになったということがあるのではないだろうか。

それと、ブロードウェイ・ミュージカルと映画オリジナルのミュージカルの違いもあるかもしれない。

上にあげた『ウェストサイド物語』『マイ・フェア・レディ』『サウンド・オブ・ミュージック』は、すべてブロードウェイの舞台が先行し、その成功にあやかるため映画が後を追いかけている。で、この3作はすべて1960年代に制作された映画作品なのだが、50年代にそうした事例がないか調べてみると、『オクラホマ』(55年、フレッド・ジンネマン監督)、『王様と私』(56年、ウォルター・ラング監督)、『南太平洋』(58年、ジョシュア・ローガン監督)が見つかる(すべて、ロジャース&ハマースタイン2世のコンビが作曲・作詞した作品)。

そこで今私がおもいつく違いは、ちょっと変に思う人もいるかもしれないが、舞台作品と映画オリジナル作品の上映時間の違い。元々、舞台公演はある程度の時間の持続を前提としているので、舞台作品によるミュージカル映画は、すべて2時間を超え、場合によっては3時間近い長さがある。それを短くしようとして特定の場面や歌をカットすると、オリジナルを損なうとして非難されることもあるようだ。

これに対して、ヴィンセント・ミネリが監督したオリジナルのミュージカル映画は、たまたまかもしれないが、全部2時間に収まる作品だ。

これを考えると、1950年代には、映画の興行上の要請として2時間に収まるのが望ましいとされ、職人ミネリは、それを踏まえて、歌と踊りを入れて2時間という枠に収まる映画を撮ったということが考えられないだろうか。すると、その時間枠を優先させるために、物語の展開の方は、多少無理があっても犠牲にされることになる。

こうした暗黙の制約が、60年代になるとTVへの対抗上緩和され、2時間を超えても、大ヒットが約束されている舞台の映画化が進んだと、今はちょっとそんな風に考えている。

超特急で翻訳校正を進める

新しいアルバイトや他の翻訳が控えているので、『精神について』第三部第4分冊の校正を超特急で終えた。

今回は、「morale」という言葉の扱いが難しくてちょっと悩んだ。

もちろんこの言葉は、普通「道徳」あるいは発音どおりに「モラル」と日本語に置き換えられるのだが、この本の著者は、これをかなり広い意味で使っており、それに適切な日本語を当てはめるのがかなり難しいのだ。

今回の校正は、「morale」という言葉の訳語でかなり悩んだ

「morale」という言葉がどのように使われているか、『精神について』のなかから具体的な例をあげてみよう。

 

「偉大な人間を生み出すのに絶対に必要な状況の符合が多いことは偉人の増加を妨げるので、現在のわれわれの政体では、才能ある人々は稀でなくてはならないと、私は主張する。したがって、精神の不平等のほんとうの原因を探し求めなくてはならないのは、モラル(morale)のなかにだけである。したがって、ある時代やある国に偉大な人間が欠けているか、それとも大勢いるかを説明するために、われわれはもう、大気の影響、太陽からの距離による風土の違い、あるいは同様の他のすべての推論には訴えない。こうした推論は、経験と歴史によってつねに否定されてきた。もし風土による気温の違いが魂と精神にそれほどの影響をもっているならば、どうして、共和国政府のもとであれほど気宇壮大で大胆だったローマ人は、今日、こんなにも軟弱で女々しいのであろうか。」

 

さて、第二稿の訳者が選んだ訳語は「気力」で、これはかなり苦心したのだとおもうし、この文章だけでみるとそれでも意味はとおるのだが、私は、この訳語は著者の意図に合致していていないように感じる。

ということでいろいろ考えてみると、おそらく著者はここで、「physique(自然学、物理学)」の対立概念として「morale」という言葉を使っているようにおもえてくる。ただ「physique」自体多義的な言葉なので、ここでの「morale」も、それに対応した多義的な言葉なのではないだろうか。したがって、「道徳」も「倫理」も、著者が想定している「morale」の一面しか表すことができなくて、なんというか、人間に関する広い学問が、著者の言う「morale」なのではないだろうか。これを語源から考えると、「morale」は「moeurs」につながり、「習俗」に関する全般的な学問ということになるとおもうのだが、やはり、一語ではうまく表現できない。

とまあ、こんなことで悩んでいると、いつまでたっても校正が終わらないのだが、割り切って、「人間に関する学問」「人間学」「人文科学」などの訳語を文脈に応じて使い分けるということで校正を終わらせた。

残るは第四部のみ。分量でいうと、全体の四分の一ほどだ。