本と植物と日常

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DVDで50年代のミュージカル映画を観る

『精神について』の校正のあいまに、ヴィンセント・ミネリ(1903年~86年)が監督した1950年代のミュージカル映画のDVDを立て続けに3本観た。『巴里のアメリカ人』(51年、ジーン・ケリー主演)、『バンド・ワゴン』(53年、フレッド・アステア主演)、『恋の手ほどき』(58年、モーリス・シュヴァリエ主演)だ。挿入曲とダンスがしゃれているのはすぐに分かるのだが、今観ると、3本ともストーリーがものすごく安易という気がする。というか、ストーリーがなきに等しい。それでもみんな喜んでみていたのが、50年代のアメリカン・ミュージカルだったのだろうか。

1950年代にヴィンセント・ミネリが監督したミュージカル映画

3本それぞれについて具体的に書くと、まず『巴里のアメリカ人』(米アカデミー賞6部門受賞)は、画家ジェリー(ジーン・ケリー)とリズ(レスリー・キャロン)が恋仲になるが、リズには結婚を誓った相手アンリ(ジョルジュ・ゲタリ)がいるという設定。最後にアンリがあまりにもあっさり身をひくところが、私としてはどうもすっきりしない。ドラマとして考えると、ここでもう一波乱あってもいいのではないかという気がするのだ。ただし、映画の導入部の演出はしゃれててとてもいい。最後のジーン・ケリーレスリー・キャロンの踊りも、理屈を超えて圧巻だ。

『バンド・ワゴン』は、脚本という意味では、今回観た3本のなかで一番練れているかもしれない。あえてジャンル分けすれば、バックステージものということになるのだろうか。最初にエヴァ・ガードナーが本人役で登場したシーンはびっくりしたし、舞台をつくりあげていく途中の細かいエピソードの紹介も、それ自体とてもおもしろいとおもった。ミュージカルを制作する行為そのものを作品化しているので、歌や踊りのシーンも、ドラマの一コマとして自然に処理されている。ただその分、最後の踊りのシーンなどは、幻想に徹した『巴里のアメリカ人』に比べると、ちょっとおとなしい。

恋の手ほどき』(米アカデミー賞9部門受賞)は、台本的には一番問題があるのではないだろうか。脚本アラン・ジェイ・ラーナー、作曲フレデリック・ロウという『マイ・フェア・レディ』のコンビで、ジジ(リスリー・キャロン)という娘に、よい結婚相手に見初められるための行儀作法をほどこしていくという物語は、まさに『マイ・フェア・レディ』にとてもよく似ているのだが、ガストン(ルイ・ジュールダン)という大金持ちがあまりにも簡単にジジにほれ込んで、ジジもわりとあっさりそれを受け入れるという展開なので、流れがものすごく平板に感じられる。ガストンとジジが惚れ合うけどそこに恋敵が出現して一波乱とか、この作品も展開にもう一工夫あってもいいのではないかとおもう。ただし、撮影や衣装はすごい。20世紀はじめのベルエポックのパリが舞台で、かつガストンは大富豪という設定なので、そういう絢爛豪華さは圧巻。高級レストラン、マキシムでのシーンも見ごたえがある。

役者では、『巴里のアメリカ人』と『バンド・ワゴン』に脇役で出ていたオスカー・レヴァントに感心。ピアニストが本職なので、ピアノを弾くシーンを代役なして演じて、それがすごく自然だし迫力あるとおもった。

ところで、これらのミネリ監督のミュージカル映画と1960年代のミュージカル映画は、雰囲気が全然違うのだが、それはどうしてだろうか。60年代のミュージカル映画ということですぐに念頭に浮かぶのは、『ウェストサイド物語』(61年、ロバート・ワイズ&ジェローム・ロビンズ監督)、『マイ・フェア・レディ』(64年、ジョージ・キューカー監督)、『サウンド・オブ・ミュージック』(65年、ロバート・ワイズ監督)だが、いずれも物語がしっかりしている。

するとまず考えられるのは、TVの影響。 アメリカでTVが本格的に普及したのが何年か正確には知らないが、TVが普及すると、それまでミュージカル映画が誇っていた歌と踊りは、ある程度TVのバラエティー番組に代わられるようになり、映画は違う方向を目指すようになったということがあるのではないだろうか。

それと、ブロードウェイ・ミュージカルと映画オリジナルのミュージカルの違いもあるかもしれない。

上にあげた『ウェストサイド物語』『マイ・フェア・レディ』『サウンド・オブ・ミュージック』は、すべてブロードウェイの舞台が先行し、その成功にあやかるため映画が後を追いかけている。で、この3作はすべて1960年代に制作された映画作品なのだが、50年代にそうした事例がないか調べてみると、『オクラホマ』(55年、フレッド・ジンネマン監督)、『王様と私』(56年、ウォルター・ラング監督)、『南太平洋』(58年、ジョシュア・ローガン監督)が見つかる(すべて、ロジャース&ハマースタイン2世のコンビが作曲・作詞した作品)。

そこで今私がおもいつく違いは、ちょっと変に思う人もいるかもしれないが、舞台作品と映画オリジナル作品の上映時間の違い。元々、舞台公演はある程度の時間の持続を前提としているので、舞台作品によるミュージカル映画は、すべて2時間を超え、場合によっては3時間近い長さがある。それを短くしようとして特定の場面や歌をカットすると、オリジナルを損なうとして非難されることもあるようだ。

これに対して、ヴィンセント・ミネリが監督したオリジナルのミュージカル映画は、たまたまかもしれないが、全部2時間に収まる作品だ。

これを考えると、1950年代には、映画の興行上の要請として2時間に収まるのが望ましいとされ、職人ミネリは、それを踏まえて、歌と踊りを入れて2時間という枠に収まる映画を撮ったということが考えられないだろうか。すると、その時間枠を優先させるために、物語の展開の方は、多少無理があっても犠牲にされることになる。

こうした暗黙の制約が、60年代になるとTVへの対抗上緩和され、2時間を超えても、大ヒットが約束されている舞台の映画化が進んだと、今はちょっとそんな風に考えている。