本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

超特急で翻訳校正を進める

新しいアルバイトや他の翻訳が控えているので、『精神について』第三部第4分冊の校正を超特急で終えた。

今回は、「morale」という言葉の扱いが難しくてちょっと悩んだ。

もちろんこの言葉は、普通「道徳」あるいは発音どおりに「モラル」と日本語に置き換えられるのだが、この本の著者は、これをかなり広い意味で使っており、それに適切な日本語を当てはめるのがかなり難しいのだ。

今回の校正は、「morale」という言葉の訳語でかなり悩んだ

「morale」という言葉がどのように使われているか、『精神について』のなかから具体的な例をあげてみよう。

 

「偉大な人間を生み出すのに絶対に必要な状況の符合が多いことは偉人の増加を妨げるので、現在のわれわれの政体では、才能ある人々は稀でなくてはならないと、私は主張する。したがって、精神の不平等のほんとうの原因を探し求めなくてはならないのは、モラル(morale)のなかにだけである。したがって、ある時代やある国に偉大な人間が欠けているか、それとも大勢いるかを説明するために、われわれはもう、大気の影響、太陽からの距離による風土の違い、あるいは同様の他のすべての推論には訴えない。こうした推論は、経験と歴史によってつねに否定されてきた。もし風土による気温の違いが魂と精神にそれほどの影響をもっているならば、どうして、共和国政府のもとであれほど気宇壮大で大胆だったローマ人は、今日、こんなにも軟弱で女々しいのであろうか。」

 

さて、第二稿の訳者が選んだ訳語は「気力」で、これはかなり苦心したのだとおもうし、この文章だけでみるとそれでも意味はとおるのだが、私は、この訳語は著者の意図に合致していていないように感じる。

ということでいろいろ考えてみると、おそらく著者はここで、「physique(自然学、物理学)」の対立概念として「morale」という言葉を使っているようにおもえてくる。ただ「physique」自体多義的な言葉なので、ここでの「morale」も、それに対応した多義的な言葉なのではないだろうか。したがって、「道徳」も「倫理」も、著者が想定している「morale」の一面しか表すことができなくて、なんというか、人間に関する広い学問が、著者の言う「morale」なのではないだろうか。これを語源から考えると、「morale」は「moeurs」につながり、「習俗」に関する全般的な学問ということになるとおもうのだが、やはり、一語ではうまく表現できない。

とまあ、こんなことで悩んでいると、いつまでたっても校正が終わらないのだが、割り切って、「人間に関する学問」「人間学」「人文科学」などの訳語を文脈に応じて使い分けるということで校正を終わらせた。

残るは第四部のみ。分量でいうと、全体の四分の一ほどだ。