王寺賢太の『消え去る立法者 フランス啓蒙における政治と歴史』(名古屋大学出版会、2023年)を読み終えた。18世紀のフランス啓蒙思想を代表するモンテスキュー(1689年~1755年)、ルソー(1712年~78年)、ディドロ(1713年~84年)の政治的テクストを精読し、そこから<消え去る立法者>という特徴を抽出することを目指した力のこもった研究書だ。
18世紀の思想家といってもさまざまなタイプがあり、たとえばこの著作では、ヴォルテールとフィジオクラート(重農主義)の思想家たちの分析は意図的に省かれている。取り上げられた3人に共通するのは、政治運営のなかで立法権と執行権を明確に分離し、立法権に主導権を与えようとしていることだ。これは、前世紀のルイ14世の専制的な執政に対する批判から生じた考え方で、活動(執筆)年代の違いから、モンテスキュー、ルソー、ディドロと順に、先行者を批判するかたちで、思想が先鋭化していくプロセスを、王寺は克明に追っている。
立法権と執行権のからみからこのプロセスをもう少し説明すると、ルイ14世時代は執行権(国王の権力)が突出し、国王が意のままに法を制定していたのだが、モンテスキューはまずこれに異を唱えて、立法権が執行権を制限すべきであることを明確に主張する。そのとき、理想の立法者は、自分が制定した法を自分で執行するのではなく、法を制定したのちその執行を他者に委ねる。それが王寺の言う<消え去る立法者>だ。
ルソーの場合は、法が法である正当性を問うというかたちでモンテスキューが取り上げた問題が深められ、その根源にあるとされるのが有名な<社会契約>だ。ここにも、自分が制定した法を自分で執行する為政者が登場する余地はない。
ではディドロの場合それがどうなるかという問題を提起したところで『消え去る立法者』という著作は終わっているのだが、王寺は、それがフランス革命の思想的導火線であるとみているようだ。
ほんとうはもっと早く読み終えたかったのだが、この本は最近では珍しい2段組みで491頁もあり、王寺曰く「まるで読まれることを拒むように長大」(あとがき、489頁)なので(笑)、読み終えるのに思いのほか時間がかかってしまった。