本と植物と日常

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高等法院司法官の実態に迫った宮崎揚弘の『フランスの法服貴族』

宮崎揚弘の『フランスの法服貴族 18世紀トゥルーズの社会史』(同文館、1994年)を読んだ。フランス革命前のアンシャン・レジーム(旧体制)期の地方都市トゥルーズの司法官の実態を探った地味な労作だ。

フランス旧体制下の法服貴族へのレクイエム

最初に、本書のタイトルにある<法服貴族>という言葉について説明しておくと、フランスの貴族には戦争の際に騎士や指揮官として戦った先祖をもつ古い家柄の<帯剣貴族>と、司法官となって貴族に列せられた新しい家柄の<法服貴族>の2種類がある。帯剣貴族の子弟が若い頃から家柄によって宮廷で重んじられたのに対し、法服貴族の子弟は、司法官に任じられるために大学で学び、さらに弁護士としての経験を積む必要があり、自分たちの有能さを自負していた。

次に旧体制下のフランスの司法制度の頂点<高等法院>について簡単に説明すると、<高等法院>はフランス語で言うとparlementであるが、言葉は似ていてもイギリスのparliamentとはまったく異なる政治組織で、議会の機能はもたない。また高等法院にはいろいろな権限があったが、主要なものは司法(裁判)と法律の登記である。この<法律の登記>という言葉も少し説明を要する。立法機関である議会をもたない17&18世紀のフランスでは国王の勅令が法であるが、その勅令が法として機能するためには、高等法院で登記されなくてはならなかった。このため高等法院は、言わば国法制定に関する一種の拒否権をもっており、絶対的な王権に対する歯止め役を自認していた。

なお18世紀のフランス高等法院は13管区に分かれ、スペイン国境に近い南仏を管轄するトゥルーズ高等法院の管轄地域は、パリ高等法院についで広い。

さて本書の構成は、「高等法院司法官の社団」を序章として、以下「地理的・時間的空間」「高等法院とその司法官」「法服貴族の家門」「法服貴族の経済状況」「法服貴族の生活と心性」について詳述し、フランス革命期について記した「法服貴族の崩壊」で結ばれている。

細部を省略して、宮崎にしたがってトゥルーズの法服貴族(司法官)の特徴をまとめると次のようになる。

「法院司法官には、さまざまな能力がそなわっている。本業の司法知識と技術のほかに、行政能力や政治能力もある。また、彼らには、知的好奇心が旺盛で、芸術への共感、文化への理解、学問研究への参加能力もある。18世紀の社会を知的側面から豊かにし、文化水準の向上に寄与している」(本書237頁)。

その内面にもう少し踏み込めば、次のようになる。

「社会的な面からみれば、司法官は地域的に繫栄するパリへの批判と対抗心をいだく。(中略)社会階層的には、彼らは宮廷で幅をきかす大貴族への批判と対抗心をいだいている。彼らはマルセイユボルドーなどで海外貿易によってひと財産つくった新興商人層にも、ねたましい思いでいたことだろう。司法官は産業経済の面にも関心はいだいていたが、金・銀、商業が人心を荒廃させる原因となり、奢侈を生むという信仰上のモラルから嫌悪する。利潤追求、資本主義の発展…といった側面が見落とされ、悪弊のみに目が向いている。政治の面では、司法官は自分たちの位置を国家の中間勢力とみなし、また役割を調停者とみている。彼らは社団としての自律的な存在を自覚している。彼らは王権に対し権力の濫用から臣下の自由を守る役割を自負して、制限王政論に傾いている。しかし、18世紀には、個人的自由を発信するのはエリート知識人であったとしても、社団の特権=集合的自由を享受している司法官からは、個人的自由に、さらにこの自由を保障する新たな国家に、積極的関心をいだいて支持するという兆候は読み取れない」(本書218~9頁)

18世紀には、王権も硬直していたが、それを批判し制限する機能をもっていた法服貴族たちも、旧体制が保障していた自分たちの権益擁護と体面維持に汲々として、社会の構造的な矛盾を解決しようといった意欲はもたなかった。彼らの能力は、「絶対王政期には発揮されたが、新しい政治原理に根ざした地平上では、ほとんど利用されないで終わる。革命とは数々の新しい制度や党派を創造する一方で、莫大な知的遺産を朽ち果てさせ、不経済なものである。やがて、革命が終結し、ナポレオン時代になるころ、生き残りの亡命司法官がポツリポツリと帰国する。しかし、もはや彼らは亡命生活に疲れた老人にすぎなくなっている」(本書237~8頁)。

本書は、法服貴族の実態へのアプローチであると同時に、彼らへのレクイエムと言えよう。