このところ立原正秋(1926年<大正15年>~1980年<昭和55年>)の作品を立て続けに読んでいる。私が立原正秋の作品をよく読んでいたのは40歳代の終わりころ。それ以来ずっと読んでいなかったので、立原作品を本棚から取り出したのはほぼ20年ぶり。きっかけは、先日私の翻訳作品を編集してくれた若者が韓国人との混血とのことだったので、彼に立原作品を勧めてみようかなとおもい、勧める前にもう一度読んでおこうとおもったため。
とりあえず、彼の代表作の一つ『冬の旅』(新潮文庫)を読んだ。昭和43年から44年にかけて読売新聞に連載された小説だ。
『冬の旅』の主人公は宇野行助(ぎょうすけ)という若者。宇野家の家族構成はやや複雑で、宇野理一と矢部澄江がいずれも子持ちで再婚し、行助は澄江の連れ子。宇野理一には前妻とのあいだに生まれた長男・修一郎がいる。
この修一郎は学校の成績が良くなく、性格も自堕落で、義弟になった秀才・行助に対してひがみがある。その一方で義母・澄江に対しては情欲を感じている。ある日、家族の留守中に、情動にまかせて義母・澄江を犯そうとしているところを行助に見つかり、争っているうちに誤って包丁で自分を刺し、そのトラブルの原因を行助に押し付ける。行助は、母が犯されそうになったことを秘したまま、自分が義兄を刺したと警察に告白し、少年院に収監される。行助が嘘の告白をしたのは、義兄をかばうためではなく、自分の過ちを行助に押し付けるゆがんだ性格の義兄に、心理的にさらに大きな負い目を負わせるため。その後の物語の大半は、少年院で進行する。
『冬の旅』の描写は、一見リアリズムのようでありながら、行助や修一郎の性格描写・行動描写はかなり画一的。理一、澄江も図式どおりの動きしかせず、登場人物同士の心理的な絡み合いは、私にはほとんど感じられない。画一的な描写から抜け出しているのは、少年院に収監されている少年たちくらいだろう。そういう意味ではかなり観念的な小説である。
作品の後半では、行助の実父・矢部隆に対する思い入れが重要なテーマとして浮かび上がってくる。少年院のなかで、行助はひたすら父と向かい合う。そしてなぜ父は病死したのか(父は何を考えて生きていたのか)、なぜ母は再婚したのかを問う。そしてそれらは一種の宿命として、行助の行動を規定するものとされる。この実父に対する思い入れと再婚した母に対するある種の軽蔑は、立原自身の生い立ちを反映したものと考えられ、それまでの単純な観念論叙述から一歩抜け出している。
こうした立原の小説の主人公について、立原と親交を結んでいた作家・高井有一が評伝で次のように記しており、これは『冬の旅』の行助にもあてはまると考えられるので、紹介しておきたい。
「立原正秋が描く主人公は、作者自身がかくありたいという願望の体現者である事が多い。彼の意識は常に明晰であり、行動は直線的である。国東重行(『猷修館往還』の主人公 )もその一人と言っていい。彼は作者に代って、<下衆>な人間に懲罰を加える。彼には味方がいない。味方を求めるのでもない。そして「勝目」がなくとも闘わなくてはならないという美意識を、作者と共有している」(高井有一『立原正秋』新潮文庫、 83頁)。
ほぼ同じことだが、高井は行助の性格を次のように表現する。「行助は『勁(つよ)い』少年である。この『勁い』は立原正秋が最も好んで用いた言葉であって、単に『強い』のと異なり、果断、勇壮、率直、非情、潔癖、意志堅固などの彼が"男の美学"と信じたものが含まれる」(同書184頁)。
立原の描く「勁い」人間は、必然的に社会から孤立し、孤独をいきる。少年院は、そうした生を選んだ人間の象徴的な居場所といってもいいかもしれない。
さて、『冬の旅』という作品全体をとおして立原が行助に託した人間の生きざまとは何だったのだろうか。けっきょくそれは、立原のいう「勁さ」と関係してくるが、少年院収監を悪とする社会的通念にはとらわれず、ひたすら己を持して、信念に従って行動するということなのだろう。この作品では描かれていないが、社会通念との闘いという意味では、立原自身が、自分が韓国人であることからくるさまざまな差別を感じていたと考えられ(そのため自分の生い立ちを詐称していた)、自分ではどうすることもできないそうした宿命的な規定に、自分自身の問題としてどう立ち向かうかが、行助および立原の抱える問題だったのだろう。
そうした一種悲壮なヒロイズムが『冬の旅』の魅力となっている。
ただ己を持するあまり、行助が母の情愛をはねつけ、彼におもいを寄せる女性も受け入れられないとなると、正義漢というよりは自己の倫理にしばられた怪物と言いたいような気がして、息苦しい。
場面転換が早く、物語の運びはおもしろい。よく言えば骨太な作品だが、やや大味な感じも否めない。