本と植物と日常

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リアルでありながら非現実的な『ルブリンの魔術師』

ユダヤ人の作家アイザック・バシェヴィス・シンガーの小説『ルブリンの魔術師』(大崎ふみ子訳、吉夏社、2000年)を読んだ。 作品全体は非常にリアリスティックな書き方なのだが、それを極端につきつめたためにかえって非現実的な感じのする、独自の作風の作品だ。

リアルでありながら非現実的な『ルブリンの魔術師』

シンガーのことをご存じない方が多いとおもうので、簡単に彼のプロフィールを紹介すると、1904年(一説では1903年)にワルシャワ近郊に生まれ、ポーランドで育ち、1935年に渡米してジャーナリストとして活動するかたわら、小説を発表し続けた。彼の作品は一貫してポーランドユダヤ人が使っていたイディッシュ語という言葉で書かれ、それが英語に翻訳されて有名になり、1978年イディッシュ語の作家としてはじめてノーベル賞を受賞している(1991年没)。

私は、ポーランドに関係しているということでシンガーを読む気になったのだが、どんな作品を読んだらいいか分からず、まず手に取ったのがこの『ルブリンの魔術師』(1959年発表)。

時代と場所の設定は、19世紀末のポーランド(この当時のポーランドは、ロシア皇帝が国王を兼ねるロシアの属国)で、ワルシャワ近郊のルブリンに拠点を置くヤシャというユダヤ人のサーカス芸人(魔術師)が主人公。当時のポーランド人はロシアに対する反感が非常に強かったと思われるのだが、ユダヤ人であるヤシャには、ロシアの支配に対する強い反感があるようには思えない。

さてヤシャは、ルブリンに妻と家庭をもっているのだが、他に3人の愛人がいる。その愛人との関係が複雑で、ヤシャは、家庭も愛人関係も断ち切れずにいる。このあたりの心理描写やワルシャワの裏町の描写は、最初に書いたようにとてもリアリスティックなのだが、人間も街もどろどろしていて、何か解決不能な悪夢でも見ているような感じになる。

後半、ヤシャは複雑な人間関係からしだいに追い詰められ、それにユダヤ教の信仰や救済の問題がからんでくる。

幻想的と言ってもいいし、シュールと言ってもいいような、不思議な感じのする作品だった。

なお、シンガーの作品を何文学に入れたらいいか、カテゴリーがとても悩ましい。「イディッシュ文学」とすれば一番簡単なのだが、それだとシンガー一人しか当てはまらないし、アメリカで活動したということからすれば、一風変わった少数派のアメリカ文学といえなくもない。ただ、シンガーはポーランドとの関係をも断ち切っていないので、亡命ポーランド文学としてくることも不可能ではない。ただしこれも、一般的なポーランド文学ではなく、ユダヤ系のポーランド文学という特殊なジャンルになってしまう。

ついでながら、ユダヤ人でありながらユダヤ性を脱して一般的なポーランド人、ポーランド文化にあこがれるという自己否定的な心理と、そうした自己否定はほんとうに可能なのかという問いかけは、この作品の大きなテーマの一つになっている。