ポーランドの国民的詩人・作家アダム・ミツキエヴィチ(1798年~1855年)の長篇叙事詩『バン・タデウシュ』(工藤幸雄訳、講談社文芸文庫、1999年)を読んだ。ミツキエヴィチの代表作であるのにとどまらず、19世紀ポーランド文学の最高傑作の一つとされ、現代でもポーランドで広く読まれている作品だ。
はじめにミツキエヴィチの伝記を簡単に紹介すると、1798年に当時ロシア領だったノヴォグルーデク(現在はベラルーシ領)のリトアニア系ポーランド人の小貴族(ポーランド語ではシュラフタ)の家に生まれ、1829年に故国を離れている。亡命先で1832年に『バン・タデウシュ』を書き始め、34年に亡命先のパリで出版。その後一度もポーランドやリトアニアに帰ることなく55年にコンスタンチノープル(現イスタンブール)で病死している。作品はポーランド語で書かれているのだが、ポーランド、リトアニア、ベラルーシのあいだで何人と断定するのが難しい作家だ(ウクライナにも記念碑があるそうだ)。墓は改葬され、現在はポーランドの古都クラクフのヴァヴェル城のなかにある。
さて『パン・タデウシュ』という作品の歴史的背景も説明が複雑なのだが、18世紀の「ポーランド共和国」はポーランドとリトアニアの連合国家で、それが1795年にロシア、プロイセン、オーストリアによって分割されて、国家が消滅してしまう。『パン・タデウシュ』は、国家消滅後の1811年~12年にかけて、反露的感情がうずまいているリトアニアの小村が舞台だ。
さて、フランス革命の混乱のなかでナポレオンが権力を握ると、ナポレオンはプロイセンが奪ったポーランドの旧領を中心にワルシャワ公国という新国家を設立し、国家を失ったポーランド人に希望を与える。そうした状況のなかでリトアニア貴族ソブリツァ家とホレシュコ家のささいな対立が果し合いに発展し、駐留ロシア軍の部隊がその鎮圧に動くと、今度は両家一致して駐留部隊と戦い、最後にソブリツァ家の若者タデウシュとホレシュコ家の娘ゾーシャが結ばれ、貴族たちがそれを祝う。
実は、主人公というべきタデウシュ(<パン・タデウシュ>というのはその尊称)はどちらかというと狂言回しのような感じで性格描写も単純で、物語はたしかにタデウシュの恋愛とそれへの障害を中心に進んでいくのだが、共感を呼ぶというにはほど遠い存在だ。
ではこの作品の何が優れているかというと、タデウシュのまわりの小貴族たちの生き生きとした描写ではないだろうか。それゆえ、この作品は国民文学になりえたのではないかという気がする。
ちなみに、物語がめでたく幕を閉じた1812年ののち、ナポレオンはモスクワ遠征を開始し、ポーランド人、リトアニア人は強い反露感情から進んでそれに協力するが、ナポレオンが破れると、ワルシャワ公国は廃止される。そしてポーランドとリトアニアはあらためて「ポーランド王国」として再建されるが、ポーランド国王はロシア皇帝が兼ねるものとされ、ポーランドは完全にロシアの属国となって、その圧政のもとで呻吟する。
1834年に『パン・タデウシュ』が出版された当時の読者は、もちろんその悲惨な事実を知っているわけで、それだけにつかの間のポーランド貴族の勝利と祝宴で終わるこの作品は、ポーランド人の希望として広まっていったのではないだろうか。
ちなみに、この作品はアンジェイ・ワイダによって映画化されているが(邦題『パン・タデウシュ物語』)私は未見。日本ではDVDも発売されておらず残念だ。