本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

性の敗残者を描いたウエルベックの『闘争領域の拡大』

フランスの現代作家ミシェル・ウエルベック(1958年生)の小説『闘争領域の拡大』(1994年、中村佳子訳、河出文庫<2018年>)と『素粒子』(1998年、野崎歓訳、ちくま文庫<2006年>)を続けて読んだ。ウエルベックは、次々と刊行される作品が、フランスのみならず、各国で注目されている話題の作家。現代フランス社会を、単に表層から見るのではなく、性の解放が進み、逆に、愛や人格といったものが希薄になってしまった現実を冷酷にとらえ、その未来までも見通しているのが、彼が高く評価されている理由だろうか。

<闘争領域の拡大>は、敗残者を生み出す

こちらは、ウエルベックの長篇処女作『存在領域の拡大』。実は、『素粒子』を読んでから、振り返りのためにこの作品を読んだのだが、個人的には、こちらの方が話がコンパクトにまとまっていて、完成度が高いようにおもった。

主人公兼物語の語り手は、コンピューター・ソフト開発会社の若い職員。新ソフトを農務省に売り込み、その利用方法の研修のために、同僚ティスランと共に地方都市に出張する。その出張前後のエピソードが物語の内容になる。

この作品、タイトルが変わっているが、ウエルベックによれば次のような事態をさす。

「完全に自由な経済システムになると、何割かの人間は大きな富を蓄積し、何割かの人間は失業と貧困から抜け出せない。完全に自由なセックスシステムになると、何割かの人間は変化に富んだ刺激的な性生活を送り、何割かの人間はマスターベーションと孤独だけの日を送る。経済の自由化とは、すなわち闘争領域が拡大することである。それはあらゆる世代、あらゆる社会階層へと拡大していく。同様に、セックスの自由化とは、すなわちその闘争領域が拡大することである。それはあらゆる世代、あらゆる社会階層へと拡大していく」(本書126~7頁)。

作品は、性の自由化によって想像力のみが肥大し、実際にはすべてのセックスを拒否されるブ男・ティスランの悲喜劇を、主人公の視点から描いている。

そして主人公はというと、性的な意味では必ずしも敗残者ではないのだが、仕事(経済領域)に生きがいを見出すことができず、自ら崩壊への道をたどっていく。

<闘争領域の拡大>という現代社会の問題に鋭く切り込んだ佳作だとおもった。