本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

『愛国者に気をつけろ! 鈴木邦男』を観る

昨日(14日)は、東中野のミニ映画館・ポレポレ東中野に行き『愛国者に気をつけろ! 鈴木邦男』(中村真夕監督)を鑑賞した。この映画は、鈴木邦男(1943年~2023年)という政治活動家に密着主題したドキュメンタリーなのだが、そもそも私はこの鈴木邦男という人物の存在をまったく知らず、文字どおりまっさらの状態で作品を鑑賞した。というのも、この作品、友人が突然「観たい」と言い出したので、気乗り薄でついていっただけだからだ。

ミニシアターで新右翼を描いた映画を観た

さて、作品を観ればすぐに分かるのだが、鈴木邦男は元々右翼の活動家・論客で、ある時点から左翼とも接触をもち、いわゆる<右翼><左翼>というレッテルに関係なく自分の信念に基づいて活動していた。このため<新右翼>と呼ばれたらしい。また最晩年は元オウム真理教関係者とも積極的にかかわりをもった。そうした鈴木邦男の政治信念は、「右からの革命」であり、自民党が主導する憲法改正に反対し護憲派と行動をともにした。頭ごなしの言論弾圧にも反対の立場で、ともかく発言させてから反対すればよいという立場をとった。映画からは、<右翼>と言いながら、非常にリベラルな考え方をしていたことが分かる。作品を鑑賞して、そうした鈴木邦男の立場をとても興味深いとおもった。

また映画を鑑賞しながら私が考えていたのは、現在私が翻訳している18世紀フランスの政治思想家との比較で、彼は、18世紀の思想家のなかでは古代賛美派であり、質実剛健なスパルタや共和政初期のローマを理想として、いわば「古代に帰れ」と唱えていた。しかし18世紀のフランスでは、古代復帰を唱えることがそのまま快楽におぼれ贅沢に走る政治体制への批判になっていた。したがって、この人物の思想は、現代的な右とか左といった枠組みでは単純にとらえられないような要素をもっているのだが、そのあたりが、意外と鈴木邦男と共通しているかなとおもった。

映画終了後はトークショー。この日のゲストは「ひかりの輪」の代表・上祐史浩で、<ああ言えば、ジョウユウ>と言われただけあって、「まあよく弁の立つ人だなあ」という印象だった。

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