本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

ダーントン『革命前夜の地下出版』を読む

アメリカの歴史学者ロバート・ダーントンの『革命前夜の地下出版』(1979年、関根素子、二宮宏之訳、岩波書店<1994年>)を読んだ。大革命以前のフランスの出版状況や著作家たちについて書かれた研究書だ。

本書は、フランス革命直前の出版状況を克明に分析している

内容は6章に分かれ、第1章と第6章が総論、中間の4章が各論という構成。各章のタイトル(内容)は次のようになっている。第1章「革命前夜の政治と文学――啓蒙の思想から<どぶ川のルソー>まで」、第2章「どん底に棲むスパイ」、第3章「逃げまわるパンフレット作者」、第4章「マントの下の書物取引――アンシアン・レジーム末期の地下出版物」、第5章「国境を越える印刷工房」、第6章「書物の社会史――読むこと・書くこと・出版すること」。

ダーントンがこの作品を書いたのは、スイスのヌーシャテル市立図書館に所蔵されていたがそれまで手つかずだったヌーシャテル印刷協会の古文書に出会ったことがきっかけ。この協会は、18世紀後半に大量の偽版や禁書を印刷してフランス国内で売りさばいており、その流通過程や禁書の著者たちとのやり取りが克明に残っていたのだ。

つまり、「秘密出版を行っていた連中は、記録に残らない歴史の深みにみな消え失せてしまったかというと、決してそうではなく、目に見える存在、そして社会的な地位も確固とした存在なのである。彼らは名前も顔も持っており、その名前や顔は、18世紀の出版人の文書の中にはっきりと姿を見せているのだ。そして彼らの体験は、地下出版が、それ自身一つの世界であることを示唆しているのである」(本書239~40頁)という。

この本でダーントンが明らかにするのは、主に1770年以降の状況だが、その分析の基調は次のように要約されている。

啓蒙思想と革命の結びつきを明確にしようとするならば、アンシアン・レジームの下の文化世界の構造を検討し、形而上学の高みから下りて、底辺にまで入り込むことが必要なのだ。(中略)革命の精神は、底辺にうごめく飢えで瘦せこけたどん底の住人たち、貧窮と屈辱によってルソー主義のジャコバン的解釈を生み出した文化的賤民の方へと移ったのだ。どん底世界の粗野なパンフレットは、感覚においてもメッセージにおいても、革命的であった。それはアンシアン・レジームを腹の底から憎み、その憎しみに心うずく者たちの情念を表現していた。究極のジャコバン革命が、その真実の声を見出したのは、満ち足りた文化エリートの洗練された抽象的観念のうちにではなく、こうした身体の奥底から発する憎しみのうちにだったのだ」(本書52~3頁)。

1770年~80年にかけて、それまで18世紀のフランス思想界を主導していた大作家たちが次々に没した。変わって登場したのは、彼らに影響を受けた言わば第二世代の著作家たちだが、この時点で出版を取り巻く状況も変化しており、彼らには発表の場がほとんど残されていなかった。必然的に彼らは地下出版に向かわざるをえない。「現在の時点から、当時、(地下出版の)供給が需要に対応していたのか、需要が供給から影響を受けたのかを述べるのは不可能である」(本書267頁)というが、1774年に即位したルイ16世の治世は、当初からこうした事態に直面しなくてはならなかった。

そうした地下出版の世界のなかで、「哲学書」と呼ばれた書籍群が存在するが、それは現在<哲学>に分類される書籍だけでなく、王族に対する誹謗文書、反宗教的文書、良俗に反する猥褻な文書など、スキャンダラスなものが数多く含まれていた。むしろ、それらスキャンダラスな文書の方が大量に読まれたと言っていい。

「もっとも高尚な哲学を、もっとも下劣なポルノ作品と一緒に分類する体制は、自分自身を掘り崩し、それ自身の地下世界を穿ち、哲学が誹謗文書に堕するのを助長する体制である。哲学が落ちぶれた時、それは節度を失い、頂点にいる人びとの持つ文化とのかかわり合いを失う。宮廷人、教会人、国王たちに敵意を抱くとき、哲学は世界を逆さまにするために身を投じた。<哲学書>は、自らに固有の言葉で、社会の土台を掘り崩し、世界を転覆させることを大声で求めたのだ。反体制文化は文化の革命を求めた・――そして1789年の呼び声に答える準備ができていたのである」(本書268~9頁)。

これが本書の結論である。しかし本書は、こうした結論もさることながら、第2章から第5章までの各論がとても具体的でおもしろかった。