本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

ポーランドの政治問題の本を翻訳開始

先日から18世紀フランスの政治思想家による『ポーランドの政治システムについて』(仮題)を訳しているが、ようやくその第一部の第1章&第2章の初訳が終わった。この作品は、ポーランド分割という大変な政治危機を前に、パリに派遣されたポーランド特使からの依頼を受けて1770年(第一部)と1771年(第二部)に執筆された政治改革案。

翻訳中のポーランドの政治改革案

第一部第1章の内容は、「ポーランドの現状。その利害関心、必要とするもの。バール連盟がもろもろの法の改革を実施しなくてはならない方法について。立法権の確立」。第2章の内容は、「ポーランド立法権を創設するのに必要な手段について」。

政治問題について書かれた本を翻訳している以上やむをえないのだが、18世紀当時のポーランド独特の政治システムに関する言葉に、日本語でどういう訳語をあてはめたらいいかは、かなりなやましい。たとえばポーランドには「Sejm(セイム)」という議会制度があり、私のテクストはフランス語なのでこれを「Diète(ディエット)」と表現しているが、SejmとDièteには微妙な違いがある。しかもそれ日本語に置き換えなくてはならないので、いちおう「国会」という訳語で統一したが、われわれがイメージする日本の「国会」とポーランドの「Sejm」は運営方法がかなり違う。

セイムは、国王と元老院と各州の代議員で構成される議決機関だが、国王、元老院、議員はそれぞれの決定権をもっており、各議題に関して三者それぞれが自分の意志を決定したのち、三者の意志をすりあわせて国家としての最終意志が決まる。つまり、現代感覚からすると「国会」に相当する各州の代議員の集会は、Sejmという機構の一部に過ぎない。なのでSejmは、国会は国会なのだが、日本の国会と同じではない。

ちなみに、18世紀当時のフランスの議会制度もポーランドとは異なる。フランスでSejmに相当するのは、いわゆる「三部会」だが、これは、聖職者、貴族、平民代表による議会だ。三部会が開催されるときは、聖職者、貴族、平民それぞれが意志を決定し、最終的に三者で意志を調整する。

結局このあたりは訳注で説明するしかないのだが、単純には割り切れない。

またポーランドもフランスも独自の議会制度をもっているので、同じ概念が通用しにくい。したがって、政治改革を行う際にも、すべてを一気に変えるのではなく、ポーランドの歴史に根付いた制度をいかしながらその欠陥を補っていかなくてはならない。このため改革といっても、どうしても現実への妥協が生じてくる。 

著者は、危機状態のポーランドを立て直すために、ともかく立法権をきちんと確立するよう力説しているが、当時のフランスでは立法府にあたる三部会が長いこと停止され、立法権が国王に属していたので、フランスの窮状をも視野におさめながら執筆していたのではないだろうか。

ポーランド危機の時代は、モーツァルトの時代と重なる

さてこの記事を書きながら聴いている音楽はモーツァルト交響曲第25番ト短調。1773年作曲なので(当時モーツァルトは17歳)、まさにポーランド危機の最中の作品だ。

作品全体の翻訳にはまだ時間がかかりそうだが、今年は6月に東京で某学会の大会が開催されるので、それまでにはある程度訳を進めておきたい。