本と植物と日常

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司馬遼太郎『アメリカ素描』を読む

司馬遼太郎(大正12年<1923年>~平成8年<1996年>)の『アメリカ素描』(新潮文庫)を読み終えた。昭和60年(1985年)、司馬がカリフォルニアとアメリカ東部を訪れた際に書かれ、元々は同年読売新聞に連載された印象記だ。アメリカ見聞録というより、アメリカで見たものに触発された随想録という感じの作品になっている。

アメリカ見聞に触発された随想録『アメリカ素描

基調となるのは、司馬のなかにある「文明」と「文化」の概念の違い。彼自身の言葉によれば、「文明は『たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの』をさすのに対し、文化はむしろ不合理なむものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまりは普遍的でない」(本書18頁)ということになる。日本は単民族国家で独自の<文化>を生み出し、民族もその文化のなかで生活しているのに対し、アメリカは複合民族国家なので、さまざまな<文化>がぶつかりあうなかで普遍的・機能的な要素が捨象され、それが<アメリカ文明>となり、ひいては、この文明が普遍的・機能的であるがゆえに、日本をはじめとする他の国々の<文化>に影響を及ぼしているというのが、司馬の基本的な見解だ。このアメリカ見聞および素描は、言ってみればこうした見解を裏付けるものとして行われ(訪問地はそれに基づいて選ばれている)、書かれており、アメリカ見聞をとおして新しい発見を行うという感じは薄い。

司馬の主観的な記述にあふれているので、直前に読んだ『燃えよ剣』よりは、私のなかの司馬の知的イメージには合致しているが、1985年当時のアメリカがもつさまざまな側面を知るという意味からは、ちょっと物足りなかった。