本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

日本精神史上の貴重な記録『仙台藩士幕末世界一周』

仙台藩士・玉虫左太夫の記録『航米日録』を、子孫の山本三郎氏が現代語訳し、解説を加えた『仙台藩士幕末世界一周』(荒蝦夷、2010年)を読んだ。万延元年(1860年)に日米修好通商条約批准書交換のため渡米した新見正興らの使節団に随行し、一月から九月まで約10カ月をかけて世界一周して帰国した際の文字通りの「日録」だ。おもな経路は江戸~ハワイ~サンフランシスコ~パナマ~ニューヨーク~ワシントン~ニューヨーク~ルワンダ(アフリカ)~ジャカルタ~香港~江戸。日本人として最初に世界一周したのは、若宮丸の漂流民・津太夫ら(偶然、津太夫仙台藩民 !)だが、この使節団は教養ある武士の一行であり、資金も豊富だったことから詳細な見聞録を残すことになった。なかでも出色がこの左太夫の『航米日録』ということらしい。左太夫の観察は、さまざまな地方の気候や風俗だけでなく、各国の人々の考え方の違いや政治制度にまで及んでおり、異文化にふれた驚きがストレートに伝わってくる。

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幕末に世界一周した感想を詳細に記した『航米日録』の現代版

 

たとえばアメリカの艦船上で眼にした点呼の際の艦長と水夫の身分差をこえたフランクな応対に対する感想は次のようなものだ。「我国では礼法が厳しくて、総主(将軍や藩主など身分の高い人)などは容易に拝謁することさえできず、あたかも鬼神のようなものだ。これに準じて少々位の高い者は大いに威厳を張って下の者を軽蔑し、従って情交はかえって薄く、凶事があっても悲嘆の色など見せない点はアメリカ人たちとは大いに異なる。このようなことでは、万一非常の事態が生じたとして誰が力を尽くすだろうか。この点がアメリカの国運が盛んで平和に治まっている所以でわなかろうかと思われるのだ」(143頁、3月17日の記事)。

こうした日々の細かな観察にもとづいて、アメリカの制度については次のように総括している。「ワシントンはみなと協議して曰く『国を支配する者になってその権力を子孫に伝えることは、私なり(自分のことだけを考えることである)。国民を指導する役目は、宜しく徳のある者を推してこれをなさせるべきである』と。(中略)外国との条約、戦争、官吏の採用や賞罰などのことはみなと会議して賛成の多いものをもって決める。たとい大統領といえども自分の意思だけで決めるようなことは許されない。ただその指示をして文官、武官を一同に集め聞かせることを大統領が司るだけである」(336~7頁、5月12日の記事)。

自分の身体をとおして感じとったこれらの違いを真摯に受け止めて、日本がとるべき新たな施策として打ち出されたのが、後の奥羽越列藩同盟の盟約にみられるさまざまな取り決めということになるのだろう。

太夫の日録は、仙台藩主への報告を意識して日付順にまとめた公的なもの(第一巻~第七巻)と、私的な見解を述べたもの(第八巻)に分かれており、編者の山本氏は、第八巻の私的見解を第一巻から第七巻までの日録の該当部分にまじえて紹介している。このため各記事(できごと)に対する左太夫の本音も同時に読めて役に立つ。

幕末の日本人の精神史を語るうえで貴重な書といえるだろう。