本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

死の舞踏をつむぐ森敦の『われ逝くもののごとく』

森敦(1912年<明治45年>~89年<平成元年>)晩年の1987年に刊行された長編小説『われ逝くもののごとく』(1991年、講談社文芸文庫)を読んだ。山形県庄内地方を舞台にした叙事詩的な大作だ。

森の伝記を調べると、配偶者が庄内地方出身で、このため月山で一冬を過ごしただけでなく、鶴岡市近郊の漁村・加茂や酒田市近郊の漁村・吹浦にも住んだことがあるようだが、『われ逝くもののごとく』では、これらの土地と、そこに住むさまざまな階層の人々を絡み合わせ、第二次世界大戦中から戦後の農地解放までの激動の時代のうねりのようなものを言語化している。登場する人物は、上層階級よりもむしろ乞食、浮浪者、娼婦など、いわゆる生活者からほど遠い人々が多く、土地に土着しているというより庄内地方をあちらこちらとさ迷い歩いているという感じだ。

リアリズムと幻想が混然一体となった『われ逝くもののごとく』

作品のはじめの方は、舞台が極めてローカルであることに加えて、描かれる人たちがみな地元の言葉である庄内弁を離すので、極めてリアルである。しかし物語の中盤になって主要登場人物であるサキという少女が庄内を転々とするあたりはむしろ幻想に近い。リアルな世界と幻想の世界がなんの境目もなくつながっているのもこの作品の特徴であり魅力の一つ。作者の狙いは、さまざまな人物をつかって物語を紡ぎ出すことよりも、現実とは幻想であり幻想とおもわれるものなかに現実があるということの提示なのかもしれない。あるいは、リアルをつきつめると幻想に至るということか。ただし私は、これは小説という形式そのもの、さらには言語表現そのものがもっている矛盾をはらんだ問題点だとおもっている。つまり言語はどこまでいっても現実の代理表象でしかなく、たとえば写真のように現実をほとんど即自的に提示することはできず、言語のもつ喚起力によって現実に迫っていくことしかできないということだ。言語表現がリアルにおもわれるときも、それはかならず受け手のイマージュという回路をとおしてのリアルに過ぎないと言ってもいい。したがって、写真と違って言語表現は、どうしても幻想に接近せざるを得ない。ここまでくると言語表現に関して「リアル」という概念は不適切になってくるとしかおもわれないので、「緻密」「微細」といった概念で置き換えた方がいいかもしれないが、緻密な言語表現(小説)は、それが緻密であればあるほど受け手のイマージュを強く刺激して、受け手のなかに「幻想」を生み出していくということだ。

したがって『われ逝くもののごとく』の緻密さ(リアリズム)は、作者の体験に即して、あるいは作者の体験そのものを語ろうとするために要請されているというより、受け手のなかにイマージュ空間を構成させるための戦略だと言ってもいいかもしれない。

しかしそれはどのようなイマージュ空間であろうか。ここで物語に戻れば、そのなかで語られているのはさまざまな人間の死であり、それが生と表裏一体のもの、直前まで生を謳歌していた人間の突然の転換として提示される(こうして書きながら気づいたのだが、大半の登場人物の死は事故死や自殺であって、病気による衰弱死はこの小説では描かれていない。)また生死不明の人間が何人かいるが、これまた生と死の境界を曖昧化するために描かれていると考えていいのかもしれない。

そうした生とは何か、死とは何か、それらは表裏一体ではないかという問いかけが、『われ逝くもののごとく』では作品全体をとおして代表作とされる『月山』以上の重厚さで展開される。庄内の漁村・農村・都市の人々を見つめるかのように、平野の奥に死者の山・月山が存在しているという土地感も生きている。

全体として、リアリズムと幻想のあいだをたゆたいながら死の舞踏をつむいでいるという雰囲気の作品だ。