本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

18世紀フランスの冤罪事件を追った著作が届く

年末に、Amazonで注文した『Que passe la justice du roi--Vie, procès et supplice du chevalier de la Barre』(Max Gallo, 2011, André Versaille éditeur)が届いたので、読むともなしにパラパラとページをめくっている。タイトルは訳しにくいのだが、意訳すれば『何が国王の正義として通用したかーード・ラ・バール騎士の生涯、裁判、拷問』となるだろうか。18世紀にフランスで起きたキリスト教涜聖事件の詳細を追った作品だ。

著者のマックス・ガロは1932年生まれのフランスの歴史学者アカデミー・フランセーズ会員。ド・ゴールやナポレオンの伝記などを書いている。また、社会党の国会議員でもある。

この本は、18世紀フランスの冤罪事件を追っている

さて、この本で取り上げられている事件の概要は、次のようなものであった。

まず1765年8月はじめ、北フランス・アブヴィルの町で、信仰の対象であるキリスト像がナイフのようなもので傷つけられているのが発見された。また墓地にある十字架像に人間の排泄物がかけられ汚染されているのも発見された。調査の結果、フランソワ=ジャン・ルフェーブル・ド・ラ・バール(François Jean Lefebvre de la Barre)をはじめとする若者たちが、ふだんキリスト教に反する言動を行っていたという証言が確認され、ラ・バールは10月に逮捕される。彼は1745年生まれで、事件当時わずか20歳だった。

ところで、ラ・バールには、キリスト像が傷つけられた夜のアリバイがあるのだが、それは無視される。そして、取り調べのなかでヴォルテールの『哲学辞典』などを所持し、愛読していたと自白したことが反キリスト教的行動に結びつくとして重視され、有罪の判決を受ける。

この裁判は、自分の著作を批判されたヴォルテールらの関心を呼び、ラ・バールを救うための運動が盛り上がるのだが、結局、1審の判決は覆らず、ラ・バールは1766年7月に共犯者を割り出すための拷問にかけられたのち、残虐な方法で処刑される。

この事件は、ラ・バールが涜聖事件の犯人であるか疑わしく、むしろ思い込み捜査による冤罪と考えられるのだが、そもそも涜聖行為が死刑によって断罪されなくてはならないのかという、当時の刑法についての疑問を提起させるものでもあった。

ガロの著作は、ラ・バールの誕生から事件、裁判、世論の動き、そしてフランス革命中のラ・バールの名誉回復までを丹念に追っている。