本と植物と日常

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石井三記の『18世紀フランスの法と正義』を読む

石井三記の『18世紀フランスの法と正義』(名古屋大学出版会、1999年)を読んだ。法や正義について論じた抽象的な著作かと想像し、それはそれでいいやと思って購入したのだが、実際には非常に具体的な題材を取り上げており、よい意味で想像を裏切られた。

18世紀の<法と正義>の問題点を詳細に解き明かしている

内容は4部に分かれる。

まず全体の導入部として18世紀フランスの法制度を概観した「法制史的背景」の章があり、本編は、第一部<事件>、第二部<思想>、第三部<革命>の構成。著作全体で、18世紀に法や裁判制度がかかえていた問題を取り上げている。

まず「背景」では、「アンシャン・レジームの刑法制度を教科書風にまとめておけば、法と宗教道徳との不可分的結合、苛酷な刑罰、身分による取扱いの不平等、罪刑の『専断』などとなるであろう。そこには罪人を改善するという考えはなく、強烈なみせしめでもって潜在的な犯罪者を抑止するという一般威嚇の思想が支配的であり、あの世での劫罰を回避できるように刑罰が地上での贖罪になっている面もあったのである」(本書20頁)とされる。ちなみに、この時期のフランスでは、終身制の特権的な裁判官が、非公開で審理を行っていた。

続く第一部では、ヴォルテール(1694年~1778年)がかかわった3つの冤罪事件が、紹介される。3つの事件はそれぞれ冤罪の事情が異なるのだが、カラス事件とシルヴァン事件では、検察による予断やずさんな裁判が糾弾されるのに対し、ラ・バール事件は、若者による涜聖という行為とそれに対する刑罰としての死刑のアンバランスが糾弾の的になる。いずれにしてもこの第一部は非常に具体的で、スリリングでもある。

<第二部>では、1764年にイタリアで出版され、死刑や拷問の廃止を主張したベッカリーア(1738年~1794年)の『犯罪と刑罰』の受容(出版の翌年、フランス語に翻訳されてヨーロッパ中に広まった)、ヴォルテールの法思想、同時代の刑法学者の思想、18世紀の複数の思想家の陪審制(アンシャン・レジーム期のフランスには陪審制度は存在しなかった)に対する考え方が紹介される。第一部で紹介されたような諸問題が出てきた制度的な背景や、それに対して当時の思想家たちがどのように反応したかが、第二部の焦点である。

<第三部>では、アンシャン・レジーム期に明らかになった法や裁判制度の問題点が、フランス革命によってどのように変わったかが取り上げられる。

それを単純化すれば、まず革命初期に、古い法、制度、法教育が大転換し、法や裁判は限られた専門家が扱うものから一般市民が参加するものへと変化し、いわば理性をもった市民が法に基づいて裁くというシステムが打ち立てられる。しかし革命の急進化にともって、<法>や<裁判>の自律性は後退して、裁判システムは反革命派を断罪する簡易なものに変化する。<正義>が<政治>に屈し、<政治>が<法>に優先するようになるのである。こうした急進化が行きつくところまで行ったところで、革命はもう一度方向転換し、最終的にはナポレオンの登場をみる。それと同時に、法制度ももう一度見直され、市民は再度<法>や<裁判>から排除され、法制度は新たな専門職の手に委ねられる。

石井の言葉に基づいて、この間の思想的な対立や変化を要約すれば次のようになる。

(フランス革命が明かにしたのは)「法にかんする『専門家主義』と『素人主義』との対抗軸といってもよい。法の素人主義とは、法律はだれにでも容易に理解されるべきもので、専門的な知識や技術よりも普通の人の常識が重要であり、法律の専門家は不要であって善良な市民ならだれでも法律の仕事をなしうるし、すくなくとも市民による法律専門家コントロールが必要、とする考えである。法律専門家主義とは、逆に、プロフェッショナルとしての法曹の意義を強調する立場から、医者や聖職者がそうであるように、高度の教育と技術的訓練を経た学識ある専門家に法律問題は委ねられるべきで、素人の介入は余計な雑音・混乱を引き起こすにすぎない、とするものである」(本書298~9頁)。

これは、どちらが良いか、二者択一で済むような単純な問題ではないのだが、石井は次のように論考を結んでいる。

フランス革命は知識と制度・秩序の問題にかんして、いったんはすべてを白紙にもどしたうえで、そこから新たな知識および制度の再編に乗りだそうとした。それは知識と秩序のとらえかたにかんしてさまざまな対抗する潮流を集中的に問題化し、結晶化してみせた点で、今日のわれわれに問いかけつづけるのをやめないのである」(本書300頁)。