本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

人物名の誤植を見つける

本日は日曜日だが、作業が遅れているので、今日も『精神について』の校正。今校正しているのは第四篇のなかの「繊細な精神と強い精神について」という章で、その終わりにカルト―師(abbé Cartaut)という人物の文章からの引用がある。ゲラでこの人物についての訳註が抜けているので追加しようと思い調べだしたら、カルト―師がどういう人物かさっぱり分からず、四苦八苦した。

abbé Cartautって、いったい誰?

いつも私が使っている現代版のテクストがこの人物の名前を誤植している可能性もあるので、18世紀に出版された初版の同じ箇所をあたってみると、やはり<abbé Cartaut>とある。少なくとも、現代版が間違えたのではないということだ。

初版も同じ綴りで手掛かりなし

困ってしまい、何か手がかりがないかと、『精神について』がフランスで出版された直後に出た英訳も調べてみたが、これに至っては、似て非なる<abbe Cartout>という綴りになっている。

英訳はabbe Cartoutという綴りになっている!

しかたがないので、いろいろ綴りを変えてネットで検索すると、1人、それらしい人物が浮上してきた。

結論から言うと、<Cartaut>は<Cartaud>の綴り間違いで、カルト―師という人物はフランソワ・カルトー・ド・ラ・ヴィレート(François Cartaud de la Vilete)ではないかと思う。フランソワ・カルトー・ド・ラ・ヴィレートは、1700年頃に生まれ1737年に亡くなったフランスの聖職者で文人。『Essai historique et philosoohique sur le goût(趣味・嗜好についての歴史的・哲学的試論)』(1736年刊)という著作があり、『精神について』の著者がそこから引用したとすると年代的にもつじつまが合う。

<Cartaut>という綴りは、著者の誤記か植字工の間違いかは分からないが、<Cartaut>でも<Cartaud>でも、フランス語では発音が同じなので見過ごされ、そのまま250年以上ずっときて、もはやそれが誰のことなのか分からず、フランスで発行された現代版のテクストも、初版の間違いをそのまま引き継いでいるというのが実情ではないだろうか。単純なtとdの違いだが、こんな誰も気が付かなかったことを発見すると嬉しくなってしまう。

ちなみに、校正は余すところ約150頁。