本と植物と日常

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炭鉱町の一家の出来事を淡々と描いたJ・フォードの『わが谷は緑なりき』

1月2日はDVDで、アメリカ映画『わが谷は緑なりき』(1941年、ジョン・フォード監督)を鑑賞した。米アカデミー賞の作品賞、監督賞など6部門で受賞した古典的作品だ。フォードは前年にスタインベック原作の『怒りの葡萄』を監督しており、両作品をとおして、社会の底辺の人々の生き方に迫っている。

炭鉱町の一家の出来事を年代記風に描いた『わが谷は緑なりき

さて、『わが谷は緑なりき』の物語は、19世紀後半のイギリスのウェールズ地方の炭鉱町を舞台にしている。

映画は、生まれ育った町を離れようとする初老のヒュー・モーガンの回想という形式で始まり、父母のこと、兄弟たち、姉のことなどが年代記風に描かれる。

まず初めに一家の日常が紹介される。一家は父母と六人の息子、一人の娘という大家族で、父親の他、幼いヒュー以外の5人の兄弟が炭鉱で働いており、比較的立派な家に住んでいる。

しかしやがて炭鉱の町にも変化がおとずれ、鉱夫たちのストライキが始まると、それトに参加するかどうかを巡って父と息子たちは対立し、息子たちは家を出てしまう。これにヒューと母の病気、姉の結婚、落盤事故、ヒューの進学などのエピソードが続く。一家で学校教育を受けるのはヒューが初めてであり、家族の期待を浴びての進学だったが、学校では炭鉱労働者の子供であるがゆえの差別を受ける。そうしたなかでの優秀な成績での卒業後、父の期待に反して、ヒューはエリートへの道を拒否して一労働者として生きることを選ぶ。

その後、姉の結婚生活の破局とそれに対する町の人たちの心ない反応が描かれ、その最中に再度の落盤事故で父が亡くなる。

これがヒューの回想の主部で、映画では、これらの出来事をとおし、ヒューが人間的に成長していくさまが淡々と描かれている。

とはいえ、主人公のヒューは、どちらかといえば無色透明な目撃者的存在で、映画の真の中心人物は、父親ギルム(ドナルド・クリスプが好演し、アカデミー助演男優賞を受賞)といえるだろう。いろいろな出来事にギルムがどのように対応したのかをとおし、彼の人生観、宗教観を作品に自然に滲み出させている。

父親に対して、このちょっと突き放したような視点を選んだということが、フォードの巧みさだろう。