本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

ポンパドゥール侯爵夫人の伝記を読む

『精神について』の翻訳一次校正終了後の第一作目として、ポンパドゥール侯爵夫人(1721年~64年)の伝記『ポンパドゥール侯爵夫人』(ナンシー・ミットフォード、1954年、邦訳:柴田都志子、東京書籍、2003年)を読んだ。ポンパドゥール侯爵夫人は、言わずと知れたルイ15世の寵姫で、18世紀中期のフランスの国政を牛耳った女性だ。『精神について』が出版され、その直後に出版停止処分を受けたのは1758年なので、この出版停止事件とポンパドゥール夫人の政治政策に何か関連がないか確認するのが、この本を読んだ大きな目的だ。

ポンパドゥール侯爵夫人

結論から言うと、おそらくポンパドゥール夫人と『精神について』の出版停止処分には直接の関係はなく、もしあえてあるとすれば、この時期、フランスは七年戦争に突入しており、戦争継続策に追われてポンパドゥール夫人が出版関係に関心をあまりもっていなかったことが、出版停止という厳しい処分に関係していると言えるかもしれない。

ちなみに、『精神について』の著者は、出版当時、フランス王妃マリー・レグザンスカ(ポーランド出身)の配膳係という職をもっており、宮廷では王妃に近い位置にいた。王妃と寵姫の立場は当然対立するので、著者とポンパドゥール夫人はあまり親しくなかったと考えられる。

むしろ、王妃に近い立場の人間が道徳上疑問視される本を出版したということで攻撃目標にされやすく、また短慮な王妃がそのことで激怒したので、著者は孤立したのではないだろうか。出版停止処分が下ってから、著者はポンパドゥール夫人に接近し、夫人にとりなしを図っている。この事件は、ポンパドゥール夫人にとっては、まあ些末事だったのだろう。

『ポンパドゥール侯爵夫人』という著作そのものは70年近く前に書かれており古い本だが、内容的には特別古いという感じはしなかった。それよりも、たとえば15章「教会と、高等法院と、役人と」では、ポンパドゥール夫人の政策の背景を説明するために、通常のフランス史ではあまり詳しく説明されない当時の王権と、教会、高等法院の政治的関係を詳しく説明しており、興味深く読んだ。

それはどういうことかと言うと、18世紀のフランスでは、王権が法服貴族で構成されている高等法院(司法機関)と政治的に対立しており、国王は増税などの政策遂行に目障りな高等法院を何度かパリから追放している。一方、宗教界では、カトリックの内部で組織と秩序を重んじるイエズス会(ジェズイット)と神秘的(それゆえ個人主義的な)傾向をもつヤンセン派(ジャンセニスト)が対立しており、イエズス会は国王と、ヤンセン派は高等法院と結びついて、政治的対立を複雑にしていた。

ポンパドゥール夫人は、政治的立場としてはイエズス会をとおして内政を統率しまた高等法院を抑えることを望んでいたと考えられるが、寵姫という立場はカトリックから見ると不道徳ということになるので、イエズス会カトリック内部に有力なパイプをもっていなかったようだ。このため、ローマの教皇庁にはたらきかけ、教皇をとおして上からイエズス会を動かそうとしていたという趣旨のことが書かれている(王族のなかでイエズス会にもっとも受けが良かったのは王妃だ)。

それが必ずしもうまくゆかず、イエズス会をうまくコントロールできなかったためのほころびが、『精神について』の出版停止ということになるのではないだろうか。

翻訳は読みやすかったが、<憲法>という言葉が何度か出てくるのには抵抗があった。というのも、この時代のフランスに<憲法>は存在しなかったので。