1月中旬からフランス18世紀の政治論の翻訳に取り組んでいたが、GWの時間をつかって、ようやくその作業が一段落した。
この作品は、18世紀のポーランドの政治改革をめぐる論議をテーマとするもので、この時代、ポーランドはロシア、プロイセン、オーストリアに国を分割され、国家が消滅してしまうのだが、消滅前に、どうしたら国を改革できるか、フランスからやってきた政治学者をまじえて話し合うという内容だ。形式的には、プラトンやキケロの対話篇を意識している。
著者は、絶対王政の矛盾が社会のあちこちから噴出しているフランスの政治状況に危機意識を抱いているのだが、ポーランドはフランスとは逆に王権が弱く、国家としての意思統一がなかなかできないために、強力な君主を戴き、国力増強、領土拡大をめざす隣国の餌食になってしまう。
ポーランド人たちからさまざまな見解が披露されるなかで、著者の考えは、どのような改革を行うかというより、まずだいいちに外国(特にロシア)の圧力を排除し、ポーランドの自由を回復しなくてはならないというものだが、その具体的な方法は不明のままだ。そしてその不透明さは、フランス改革を行うときにどのようにして改革を進めるかの方法論が不透明なのと共通する。結果的に、煮詰まった社会状況のなかの閉塞感が強く感じられる作品になっている。
訳の方は、作業が一段落したといっても、そう簡単に終わりというわけにはいかない。たとえば作品のなかに、
「La prudence humaine pouvait-elle aller plus loin, et agir cependant par un moyen plus sinple et plus aisé?」
という表現があり、私はこれを、とりあえず
「人間の慎重さはさらに遠くまで行くことができただろうか、またしかしながら、さらに単純でさらに簡単な手段ではたらきかることができただろうか。」
という日本語に置き換えたのだが、読み返してみると、「慎重さが遠くまで行く」という表現が、日本語としてしっくりこない。原文のニュアンスを活かしながら読みやすい日本語に置き換えるというのは、当然のことながらけっこう難しい。まあそれが、翻訳の面白さでもあるのだが。
なにはともあれ、翻訳作業が一段落したことはしたので、久しぶりにのんびりしている。翻訳作業が忙しくてなかなか記事を書くことができなかった当ブログも、また新しい記事を投稿していくつもりなので、どうぞよろしく。