本と植物と日常

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ロシアの女帝エカチェリーナ二世の伝記を読む

18世紀ロシアの女帝エカチェリーナ二世(1729年~96年、在位1762年7月~96年)の伝記『エカチェリーナ大帝 ある女の肖像』(ロバート・K・マッシー著、北代美和子訳、白水社、2014年)を読んだ。上下二巻の大作で、かつロシア宮廷の逸話を集めたような平板な書き方なので、読み終えるのにはさすがに少し時間がかかった。

エカチェリーナ二世の伝記を読んだのは、生粋のドイツ人として生まれ、ロマノフ王朝の血は一滴も入っていないにもかかわらず、クーデターによって夫ピョートル三世(1728年~62年、在位1762年1月~同年7月)を帝位から追放しロシア皇帝になったという経緯が、とても不思議だったからだ。その経緯はピョートル三世があまりにも無能で人望がなかったからということで、とりあえずは了解したが、しかしそれでもある意味で部外者が皇帝になれるという18世紀ロシア帝国の政治制度は不思議というしかない。ただこのためエカチェリーナ二世には帝位簒奪者というイメージがついて回ったようで、それがポーランドウクライナに領土を拡張し、それによって支持基盤を固めるという対外政策につながったのかもしれない。

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絶対的権力をもちながら孤独だったエカチェリーナ二世

作品の前半は、北ドイツの小さな領邦アンハルト=ツェルプスト公国の公女ゾフィーとして誕生したエカチェリーナが、ロシア皇帝となるまでを描く。事象としては、幼年時代、ロシアの皇位継承者ピョートル大公の花嫁候補として呼ばれ、結婚し、大公妃として宮廷で生活するといったことが中心。この部分では、エカチェリーナに自律的な行動は少なく、むしろピョートル大公の叔母でピョートル一世の娘である女帝エリザヴェータ(1709年~62年1月、在位1741年~62年1月)の性格や生活の描写が多い。この女帝が非常にマイペースで、ピョートル大公もエカチェリーナも彼女に振り回される。ピョートル大公には、エリザヴェータ帝に対する反感が強く、エリザヴェータ帝の急死によって帝位につくと、彼女の政策をことごとく覆す決定を行う。このため、宮廷や教会からの反感をつのらせ、それが聡明なエカチェリーナ(と跡継ぎの皇子パーヴェル<1754年~1801年、在位1796年~1801年>)に対する期待を強めて、クーデターにつながっていく。

皇帝になってからのエカチェリーナは、農奴解放や明文化された法典制定、そのための委員会招集などさまざまな施策を企図したが、結局それらが支持基盤である貴族社会の反発を生むことを悟り、断念する。その代替政策が、上記した領土拡大策だったのだろう。

またヨーロッパの知識人との交流ということでは、フランスの哲学者ディドロ(1713年~84年)との関係について詳しく記されている。ディドロに関しては、エカチェリーナは彼をペテルスブルクに招き会見することでいろいろな知見を得ることを期待していたようだが、ディドロが構想する改革のイメージとロシア社会の現実はかみ合わず、うまくいかなかったようだ。

しかしそれ以上に詳しく書かれているのは、大公妃時代からのさまざまな愛人たちとの関係だ。

彼らは、大公妃時代のセルゲイ・サルトゥイコフ(エカチェリーナの後継者パーヴェル帝の実際の父とされる)、スタニスワフ・ポニャトフスキ(後のポーランド国王スタニスワフ二世)、グリゴリー・オルロフ(近衛連隊の将校で、クーデターの際にエカチェリーナのために動く)にはじまり、エカチェリーナの皇帝登位後は、正式に「寵臣」として認められ、公的な愛人として宮廷内に地位と居室を与えられる。そのなかで最も重要な人物がグリゴリー・ポチョムキンだが、エカチェリーナの寵臣はポチョムキンにとどまらない。本書のなかでエカチェリーナは絶対的権力をもちながら美貌の寵臣なしには過ごせない孤独な女性として描かれる。

本書全体としては、エカチェリーナ二世の政策を扱ったというより、宮廷秘話集という印象が強い。