本と植物と日常

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『図説プロイセンの歴史』を読む

『図説プロイセンの歴史 伝説からの解放』(セバスチャン・ハフナー著、魚住昌良監訳、川口由紀子訳、東洋書林、2000年)を読んだ。

プロイセン=ドイツととらえる方も多いかとおもうので、はじめに簡単に説明しておくと、「プロイセン」はバルト海に面した現在のロシアの飛び地カリーニングラード州付近の地名で、もともとは「非キリスト教徒の小さな一民族の名であった。この民族の起源、歴史については、今ではほとんど何も知られていない」(同書12頁)。ここにドイツの騎士修道会が植民し、みずからもプロイセンと名乗ったのが、歴史に登場する「プロイセン」国家の始まりである。したがって成立当初のプロイセンは、ドイツ人の入植地ではあるがドイツ(神聖ローマ帝国)には属しておらず、むしろポーランドに従属していた。

このプロイセンが、神聖ローマ帝国内の領邦ブランデンブルクと同君連合を結ぶ時点から、プロイセンとドイツ史のかかわり、そしてプロイセン拡大の歴史が始まる。

本書が語るのは、このプロイセンがどのように拡大し、また普仏戦争後に統一ドイツの盟主となり、みずからを「ドイツ」のなかに解消し、ドイツ帝国およびその後ナチス政権崩壊と運命をともにするまでの歴史である。その意味では、プロイセンの歴史の大部分は近代ドイツの歴史と重なるのだが、その枠組みには収まり切れない部分も含んでいる。

近代ドイツ史の新しい視点を提示する『図説プロイセンの歴史』

また本書の副題の「伝説からの解放」は、このプロイセンが、18世紀以降一貫して国土拡大を目指した軍国主義的国家であり、ドイツ帝国成立以降、プロイセン軍国主義ドイツ国家の性格を規定したという<伝説>を、歴史の細部をたどることで見直すという意図からきている。

それは、プロイセン王国が新たなドイツ帝国の盟主となることについての次のような記述からも読み取れる。「帝国の歴史に深く根を張り、帝国から成長し、帝国という理念から完全には脱し切れなかったオーストリアとは異なり、プロイセンはむしろそれとは対照的な建造物、反帝国であった。(中略)プロイセンは、ピカピカで真新しく、どんな歴史的後光も背負っていない国、理性だけでできた国、国の中の国であり、明晰に思考する国家理性であり、中世の所産ではなく啓蒙主義の所産であった。よりにもよってそのプロイセンが、ある日帝国を再興することになろうとは、プロイセンの古典時代だったらさぞかし誰もが冗談と思ったことであろう。」(同書267頁)。したがって、著者によれば、「1871年1月18日、ヴェルサイユ宮殿における皇帝宣言をもって、プロイセンの死にいたる長い日々が始まったのである」(同書269頁)ということになる。

18世紀のフリードリヒ大王の統治、ナポレオン時代、ナポレオン没落後のウィーン体制時代のプロイセンを一貫してみながら、著者ハフナーは、プロイセンとドイツの歴史についての新しい視点を獲得したといっていいだろう。

さまざまな時代の絵や図版が豊富で、プロイセンの歴史を視覚的にもたどれるようにしたのは、本書の大きな特長。

叙述全体は、細かな史料から大きな流れを導き出すというよりは、著者の考える新たな視点を時代時代のできごとに適応させるという感じで、説得力はあるが、史料に基づく論証という意味ではやや弱点があるのは否めない。