本と植物と日常

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日本の時代史~『近代の胎動』を読む

享保改革と社会変容』(大石学編)に続いて、『近代の胎動』』(「日本の時代史」17、藤田覚編、2003年、吉川弘文館)を読んだ。この巻は、松平定信の寛政改革、水野忠邦天保改革を中心に、18世紀末からペリー来航直前までの江戸時代後期のさまざまな社会的動きを扱っている。またこの巻も、編者・藤田覚による基調の論考と5篇の個別研究で構成されているが、特に興味深く読んだのは、「東廻り航路と奥筋廻船」(斎藤善之)と「地域社会の変容 幕末の「強情者」と寺領社会」(志村洋)の2篇。

さて「東廻り航路と奥筋廻船」は、一般によく知られている菱垣廻船、樽廻船、西廻り航路などではなく、あまり知られていない東北地方から常陸・房総沖を通って江戸へ物資を運ぶ「奥筋廻船」の実態を明らかにしようとする研究。これについては、現在の石巻市に根拠を置き、奥筋廻船をとおして蝦夷地・東北・関東を結び活動していた平塚八太夫(1805年~1866年)の詳細な記録「萬記録覚帳(よろずきろくおぼえちょう)」が残っているので、斎藤は、それを元に、八太夫がいつ・どこで・どのような物資をいくらで購入したかを調べ、そこから奥筋廻船の特徴を浮かび上がらせている。なかには、1853年、1856年、1861年に八太夫がどのような本を買ったかの具体的な紹介もあり(同書101頁~102頁)、八太夫が単なる船乗りではなく、なかなかの愛書家だったことがわかる。1853年には『絵本通俗三国志』をはじめとして309冊もの本を買っているのだ。いずれにしても八太夫はかなりエネルギッシュな人間だったようで、斎藤の記述をとおして、彼の生きざまがありありと眼に浮かぶ。

いっぽう「地域社会の変容 幕末の「強情者」と寺領社会」は、藤沢市時宗本山・清浄光寺(遊行寺)領西村に居住し、寺をまきこんで数度の訴訟をおこなって「強情者」と呼ばれた弥三郎と茂兵衛の生活実態、交友関係などを調べた研究。こちらも非常にリアルで、彼らの訴訟は単に強情な性格からきているものではなく、背景には、自分たちの生活を守るという切実な要求があり、またそれを支持する人たちがいたということを明らかにしている。

この二つの研究と比べると、たとえば同じ巻に収載されている「学問と教育の発展 「人情」の直視と「日本的内部」の形成」(辻本雅史)は、江戸末期の思想の流れがうまく整理され紹介されてはいるのだが、観念的な印象を受ける。題材が「思想」なのだから観念的で当然ともいえるのだが、思想の流れのフローチャートを読んでいるようで、「人情」をテーマとしてとりあげながら、個々の思想家の内面に引きずりこまれ共感を覚えることがあまりないのだ(ただしこの点は、辻本の研究にかぎったことではなく、直前に読んだ『江戸の思想史』(田尻祐一郎、2011年、中公新書)からも同じような印象を受けた)。思想史の研究は、方法論としてもう少し工夫がいるのではないだろうか。

また巻末の研究「江戸庶民の暮らしと名奉行」(藤田覚)では、当時の社会問題の一端とそれを規制する側の奉行が紹介され、彼らの考え方は取り締まり一辺倒ではなかったことが、ドラマなどで有名な遠山景元(1793年~1855年)などを例に示され、「天保改革という、一般町人、「その日稼ぎの者」にとって過酷な政治改革に直面し、そのなかでもなお「その日稼ぎの者」の生活維持を主張したその姿勢が、名奉行として際だったということになろう」(同書271頁)と結ばれる。

全巻をとおして、幕末の人々の生きざまがよくわかるおもしろい研究書だった。

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江戸時代末期の人々の多様な生きざまを紹介している『近代の胎動』