本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

日本の時代史~『享保改革と社会変容』を読む

最近、江戸時代の歴史に関する本をいろいろ読んでいる。

というのは、一昨年の8月から3度引越しをしたために寓居の荷物、なかでもすぐに読まない本は段ボール箱に詰められたままになっていて、どこに何があるのか自分でもわけがわからなくなっていたのだが(笑)、お盆休みに荷物を少し整理したら、驚いたことに江戸時代のことを書いた本がたくさん出てきたので、まずそれらを読むことにしたというしだい。江戸時代体のことを今さら詳しく知ってどうなるのかとおもわないではないが、とりあえずは修養のためということで自分を納得させた。またあえて言えば、私はふだんフランスを中心とした18世紀のヨーロッパ社会について考えることが多いので、それと比較することができる。

さてそのなかでおもしろかったのは『享保改革と社会変容』(「日本の時代史」16、大石学編、2003年、吉川弘文館)。出版されてから20年近く経つので、細かなデータや幾つかの見解はすでに更新されている可能性もあるが、それでも徳川吉宗(1684年~1751年)、田沼意次(1719年~88年)らが政治を主導した18世紀の日本の歴史の流れはうまくつかめる。

この本、基調の論考「享保改革と社会変容」は編者・大石学が執筆し、あとは7篇の個別の論考から構成されている。なかでも面白くて興味深く読んだのは、「富士山噴火と浅間山噴火」(松尾美恵子)と「近世中期の藩政」(福田千鶴)。

「富士山噴火と浅間山噴火」は、噴火の物理的現象についての研究ではなく、噴火後、どのような被災者対策が行われたかを調べ、それによって幕府の政治・財政制度を明らかにしようという研究。たとえば1707年の富士山噴火に関しては、小田原藩などの個別の対応では対処できないので幕府が直接救済に乗り出すのだが、結局幕府の財力でも完全には対応できず、全国の大名等から石高100石につき2両を徴収したという(同書155頁)。このことから逆に、普段の幕府は全国一律の徴税システムをもっておらず、基本的には幕府直轄領からの収入で幕政を運営していたことを明らかになる(この点に関しては、幕府は言わば膨大な領地をもった大名として機能しているだけで、諸藩の大名との構造的な違いはない)。また幕政にかかる費用といっても、当時の日本は軍事・外交費を計上せずに済んだので、将軍家の日常にかかわる費用が出費の大半だったとおもわれるが(同じ時代のヨーロッパでいうと、宮廷費にあたる)、それでも噴火の後処理は財政負担が大きく大変だったということだ。それと、大量の火山灰を除去したりするために当事者である被災村民を人足として動員するのだが、その人足に対して賃金を払い、それが被災者の生活支援策を兼ねていたという(同書160頁)。そうした政治上の知恵には驚いた。

「近世中期の藩政」は、福岡藩を例にして、窮乏する財政を改善するために誰がどのような対策を行ったかを明らかにしようとする研究。福岡藩の財政構造(支出)は、人件費(知行取・蔵前取・切扶取渡分)、各役所の経費、参勤経費、長崎番費、江戸邸経費、海陸軍用費、普請費、奥向経費、借銀返済、雑費からなり(同書185頁)、このうち人件費は本年貢の約72%をしめていた(同書186頁)。このため勤休制などによって人件費削減に努め、他の諸策とあわせて改革を行い、「福岡藩では藩財政の建て直しを最重要課題としつつも、社会的問題に配慮しつつ改革を進めたところに全藩一揆などの領民の強い抵抗を受けずに改革が一応の成功をおさめた一因があった」(同書219頁)という。

結局、吉宗から意次の時代は、徳川幕府の制度が確立し安定期にはいると同時に、その問題点がはっきりしてきた時期ではないかとおもうが、管見するに、江戸時代の社会の最大の問題点は、内外の戦争がないにもかかわらず非生産階級である武士が多すぎ、彼らの生活を維持するのが困難だということではないだろうか。この時代、年貢増収のために幾つかのシステム改革が行われ、徴税が効率化していくのだが、要するにそれは農民からの収奪の効率化であって、社会の最大多数を占める農民の生活向上に結びついてはいない。

とすれば結局、本書の締めくくり的な論考「享保天明期の社会と文化」(若尾政希)で紹介される安藤昌益(1703年~62年)の食物生産(農業)を中心とし、為政者や上下秩序のないコスモロジーが、社会の問題点をもっとも鋭く見抜いていたということになるのかもしれない。ただし若尾によれば、「その主張が当時の社会に受け容れられた形跡は全くない」(同書318頁)という。 

f:id:helvetius:20210820142348j:plain

江戸時代中期の社会を詳述する『享保改革と社会変容』

メモ/同時代のヨーロッパの君主、思想家

ピョートル大帝 1672年~1725年

ルイ15世 1710年~74年

 

モンテスキュー 1689年~1755年

ケネー 1694年~1774年

ヴォルテール 1694年~1778年

ルソー 1712年~1778年