本と植物と日常

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江戸時代のロシア漂流記『おろしあ国酔夢譚』

DVDで映画『おろしや国酔夢譚』(佐藤純彌監督、1992年)を観た。
1782年(天明二年)に神昌丸という船で伊勢から江戸に米を輸送する途中、嵐にあってアリューシャン列島に漂着し、苦労の末1792年(寛政四年)にロシア船で帰国した船乗り大黒屋光太夫ら一行の異国体験を描いた、実話に基づく作品だ(原作・井上靖)。

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江戸時代にロシアに漂着した日本人の体験記『おろしあ国酔夢譚』

太夫は、シベリアを横断して帝政ロシアの首都ペテルスブルクに行き、そこで女帝エカチェリーナ2世に直訴して日本に帰国するのだが、極寒のシベリアや華やかなペテルスブルク(撮影当時はレニングラード)のロケをふんだんにつかい、演出そのものはかなりおさえている。光太夫役の緒形拳の演技も控え目だ。このため、ドラマを観ているというより、実際のできごとに立ち会っているような印象があり、感銘が深かった。映画は約2時間で終わるのだが、そこに光太夫が体験した10年の歳月が凝縮されているような感じだ。

また光太夫らのロシア体験と帰国後の江戸社会の落差もうまく出ている。それが、ロシア体験が夢だったのか、帰国して味わう江戸時代の日本の現実の方が夢なのかという作品タイトルにつながっていくのだろう。

ただし映画では、帰国後の光太夫と伴の磯吉は罪人扱いだが、『開国への道』(平川新、小学館、2008年)によれば、現実には「幕府は光太夫と磯吉に、報奨金として金三〇両のほか、養い金として光太夫には毎月三両、磯吉には二両を与えている。こうした破格の待遇を与えたのは、貴重なロシア情報をもつ両人を幕府の膝下に置いておくためだった。光太夫蘭学者たちと自由に交際し、磯吉もあちこちでロシア語を疲労しているように、彼らは幽閉されてはいなかった」(同書114~5頁)という。このくい違いは、原作出版当時に、幕府は異国体験をもつ光太夫らを他の人々と接触させて異国情報が流出するのを警戒したのではないかと推測した井上靖の判断によるようで、その点は割り引いて観る必要がある。

ちなみに、光太夫がペテルスブルクで謁見を許された女帝エカチェリーナ2世は、フランスの哲学者ディドロの庇護者としても知られている。ヨーロッパと日本の18世紀が微妙に交差するところも、この作品のみどころといえるだろう(光太夫がロシアにいるあいだにフランス革命が始まっている!)。