本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

新しい翻訳に着手

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遅まきながら、明けましておめでとうございます。本年も小ブログをよろしくお願いします。

 

さて、年末からシオドア・ドライザーの『アメリカの悲劇』を読んでいるのだが、これがまったくおもしろくない(笑)。全体の4分の1ほどまで読んだところで、さっぱり先に進まなくなってしまった。話がおもしろくないというより、叙述が平板なうえに、説明があまりにもくどいのだ。それでもなんとかしまいまで読み上げたいとはおもっているが(まだ1,000頁ほど残っている)、それはいったん中断して、前から気になっていた作品の翻訳に着手することにした。18世紀フランスの社会思想で、当時のポーランド問題がテーマだ。

17世紀までのポーランドは東欧の大国で、1683年にオスマン・トルコが神聖ローマ帝国を攻めたとき、ウィーンを包囲網から救出したことでも有名だ。ただし、ポーランドの王政は選挙制で、国王が亡くなるたびに混乱が生じ、18世紀には国力が弱まっていた。これに乗じてロシア、プロイセンオーストリアが国土を分割して奪い取り、最後には国家が消滅してしまうのだが、その直前の危機的な混乱のなかで、ポーランド愛国者たちはフランスに使節を送り、フランスの国家的対応と個々の思想家のポーランド改革案を求めていた。それに応じたものとして有名なのがルソーの『ポーランド統治論』(1771年)で、ルソー以外にも多くの思想家が改革案を提案している。

そうしたフランスの政治思想家の一人Mが、ポーランド貴族の招聘に応じて実際にポーランドを訪問し、ポーランド人と話し合った印象をまとめたのが、今回私が翻訳に着手した『政治家たちの饗宴』だ。作品は、語り手がポーランドの大貴族に招かれ、軍人、貴族の論客とともに会食しながらポーランドが進むべき方向について話し合うという架空の対話篇で、タイトルはおそらくプラトンの『饗宴』を意識している。

短い作品だが、会話が中心なのでくだけた表現も多く、それをどう日本語に置き換えるかに最初から四苦八苦している。たとえば、次のような箇所(左側のページの下の部分)。

 

Je riois quelquefois en voyant qu’on me soupçonnoit d'être chargé de quelqu’importante négociations, car le moyen de penser qu’avec toute ma science j’allasse m’enterrer dans un château?

 

内容的に難しいというより、car(「というのは」という意味で、英語のbecauseに相当)以下の部分の主語と述語の関係が、文法的によく分からないのだ。悩んだすえ、少し言葉を補って次のように訳すことにした。

 

「非常に学識があるのにとある城に引きこもりに行くと考えるのは困難ということで、私にはなんらかの重要な交渉が委ねられているのではないかと人々が疑うのを見て、私はしばしば笑ってしまいました。」

 

先は長いが、じっくり取り組むとしよう。