本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

佐藤賢一『新徴組』を読む

『新徴組』(佐藤賢一、新潮社、2010年)を読み終えた。幕末から明治にかけての江戸と東北を舞台にした歴史小説だ。

f:id:helvetius:20211129205529j:plain

著者・佐藤賢一の庄内に対する思い入れが感じられる『新徴組』

はじめに新徴組について簡単に説明しておくと、幕末の江戸で、市中警備のために設けられた浪士集団だ。京都の新選組に似たような性格の組織だが、こちらは庄内藩に預けられた。

その新徴組には、沖田総司の義兄・沖田林太郎(実在の人物)が所属しており、彼がこの小説の主人公。京都にいる義弟・総司や江戸在住の妻子への気遣いが、作品の基調となる。

副主人公は新徴組の番頭兼江戸市中取締掛として、新徴組を鍛錬し、組織としてまとめ上げた庄内藩士・酒井吉之丞。後に玄蕃を名乗り、戊辰戦争の際の庄内藩二番大隊を率いて無敵の進軍をし、官軍・秋田藩から「鬼玄蕃」と怖れられた人物だ。吉之丞は、言わばイデオローグとして作品の骨格を形成するが、自らの思想を語ることは少なく、林太郎が狂言回し的に動いて、吉之丞の思想を引き出していく。

たとえば江戸取り締まりの合間に、問わず語りのようにして林太郎に明かす吉之丞の信念は次のようなものだ。「実際のところ、私は主義主張というものを持たない、というより、持たないようにしています。尊王攘夷も、公武合体も、佐幕もないというのは、もっともらしい言葉を唱えたが最後で、人間は本当に大切なものを見失ってしまうと考えるからなのです」(同書112頁)。ただしこれは、吉之丞本人の思想というより、吉之丞に仮託した著者・佐藤賢一の思想と見るべきだろう。

さて幕末に薩摩藩は江戸市中攪乱のため騒動を起こすが、これが新徴組の江戸警護とぶつかり、本来であれば、薩摩対幕府という対立構図になるべきところが薩摩対庄内という構図にすり替わってしまう。大政奉還後、幕府からの江戸警護の要請も自然消滅したため、庄内藩は新徴組ともども庄内に引き上げる。しかしその後、庄内は会津とならんで朝敵とされる。争うからには勝たなくてはならない。庄内一藩だけの抵抗ではすぐにつぶされてしまうという判断から、吉之丞はまず会津との同盟を構想し、これに仙台・米沢を加えて、東北全体で官軍に向かうという「奥羽列藩同盟」を計画する。

第二部は、新徴組が庄内に移住した以降の話だ。まず吉之丞の計画どおりに奥羽列藩同盟が成立し、官軍(西軍)と同盟軍(東軍)の戦いが始まる。第二部は具体的な戦闘の話が中心だが、戦闘の細部というより、佐藤賢一は吉之丞の戦略や戦闘に対する考え方の紹介に力を入れる。

玄蕃と改名した吉之丞率いる庄内藩二番大隊は紺地に金で北斗七星を描いた「破軍星旗」を旗印とした(画像参照)。北斗七星は東洋では死をもたらす不吉な星とされるのだが、これにも玄蕃の思想が反映している。「庄内藩も他の諸隊は日章旗を掲げていた。でなければ、酒井家の「かたばみ」である。残りの東軍諸藩も同じで、日章旗か、それぞれの藩主家の紋だ。(中略)いうまでもなく、かたやの西軍は朝廷の錦旗である。それが戦場で向き合うのでは、いまだ佐幕と勤皇が争っているかの臭気が漂う。のみならず、そのものが各陣営の作為と欺瞞を感じさせて、いずれにせよ吉之丞の好みではなかった」(同書360頁)。それゆえの破軍星旗であるが、それは主義でも主張でもなく、理想でも理屈でもなく、「敵は力で打ち破る」(同)という考えを反映したものだったとされる。

孤軍奮闘した庄内藩だったが、奥羽越列藩同盟の崩壊を知り、秋田城攻めを目前にして兵を引き上げ、鶴岡を無血開城して庄内の戊辰戦争は終わる。林太郎は、その人とは知らずに、鶴岡にやって来た西郷隆盛と言葉を交わす。

全体として、著者・佐藤賢一(鶴岡出身)の庄内と庄内軍を率いた酒井玄蕃に対する強い思い入れが感じられる作品だった。直前に読んだ『竜は動かず』『蓋棺』と比較して作品に厚みが感じられるのはさすがだ。