本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

『奥羽越列藩同盟』(中公新書)を読む

最近、幕末の変革に関する史書をいろいろ読んでいるが、その一環で『奥羽越列藩同盟 東日本政府樹立の夢』(星亮一、1995年、中公新書)を読んでみた。実は私も東北人のはしくれなので(山形県鶴岡市<庄内地方>出身)、戊辰戦争の際に結成された奥羽越列藩同盟の政治構想と新政府軍との戦いぶりには以前から興味をもっていたのだ。

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明治維新の敗者の歴史『奥羽越列藩同盟

さて奥羽越列藩同盟とは、鳥羽伏見の戦いの後に新政府によって朝敵とされた会津・庄内の奥羽二藩救済を目的に、仙台藩米沢藩が中心になって結成された軍事同盟。1868年(慶応4年)五月に31藩が参加の盟約を交わした。

本書のまえがきのなかで星はまず、「この戦争は新生日本の創生をめぐる意見の対立」とする岩手県出身の原敬の言葉を引く(本書ⅲ頁)。列藩同盟は、負けはしたがけっして賊軍ではなかったという立場だ。以下、本書の狙いは、奥羽越列藩同盟は何を考えて(何のために)新政府軍との戦いに突入したのかを明らかにすることにあるといえよう。

具体的には、列藩同盟のビジョンは「奥羽鎮撫総督府参謀の悪業残虐を天下に周知させて世論を喚起し、諸外国、特にフランス、アメリカ、ロシアを味方につけ、武器の援助を受け、榎本武揚の旧幕府海軍と呼応、制海権を握る。そのためには列藩諸藩がより結束し、事にあたるとし、秋田や八戸藩など同盟に異議を唱える向きには、南部藩米沢藩が説得するとした。そして速やかに江戸城を押さえ、政権を樹立する」(本書36頁)というものだったという。同盟の中心になってこうしたビジョンを構築したのは、渡米経験がある仙台藩玉虫左太夫である。

ただ新書で枚数制限があるため、全体の記述はかなり駆け足気味で、結果としては、個々の戦闘の経緯の紹介が多くなってしまっている。そうしたなかで、本書全体から受けた印象を言うと、結局、列藩同盟は思惑のちがうさまざまな藩の集合で結束が弱かった、大政奉還後に急に結成されたため参加した各藩で戦闘準備が整っていなかった(特に武器)などが、同盟があっけなく瓦解した理由だろうか。特に中心となった仙台藩の対応は、いろいろな面でもたついているという感じがした。大藩ではあるが、薩摩や長州のように様々な出来事でもまれていなかったのがその一因かもしれない。

戦闘という意味では、ふんばったのは当事者である会津、庄内の両藩と、政府軍と接触する位置にあった長岡藩ぐらいで、会津藩降伏後、同盟はあっさり崩壊してしまった。

星は、「日本の戦後処理のまずさは第二次世界大戦でも指摘されているが、戊辰戦争でもまったく同じで、賊軍の名で奥羽越を一方的に片付け、日本の近代史にとって、戊辰戦争とは一体なんだったのかを十分に討議、検証することなく、歴史の闇に葬ってしまった。これは日本人の恥ずべき歴史感覚であることを指摘し、この本を奥羽越列藩同盟の参謀と、山野に朽ちた兵士や農民、婦女子たちの靈に捧げたい」(本書256頁)と、全体を結んでいる。

いろいろな史料をきちんと調べているので、倍ぐらいの分量があれば、細部をもっと書き込んで充実した本になっていたかもしれないと惜しまれる。