本と植物と日常

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ダーントン『検察官のお仕事』を読む②ーーブルボン朝フランス

まず第一部「ブルボン朝フランス」。

冒頭でダーントンは次のように書く。「(18世紀についての)一般的な歴史解釈では、表現の自由を促進しようとする作家の試みと行政官の抑圧的な活動を対比させる。(中略)こうした解釈には利点が多い。古典的自由主義や人権擁護への強い関心という観点、すなわち、啓蒙主義に由来する近代的な視点ではとりわけそうである」(本書14頁)。

しかしダーントンはこうした歴史解釈を次のように批判する。

「価値判断を歴史的客観性に適合させる方法としての妥当性はともかく、実際の検閲がどのように機能していたかという研究に裏打ちされていない点で根拠を欠いている」(本書14頁)。

それではダーントンは、18世紀フランスの検閲の実態はどのようなものであったとするのだろうか。彼は、当時の捜査資料なども使って、取締る側からのみならず、取締られる側からも検閲について語る。

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18世紀フランスの出版物の認可には、特認、黙許、単純許可、見逃しというさまざまなグレードがあり、特認を得なくても本を売りさばくことができた。したがってダーントンによれば、18世紀フランスの検閲制度は、悪書を取締るという性質のものではなく、<特認>という国王のお墨付きで良書を流通させるために、申請があった本の文章や内容の不備をチェックするというものだった。「検閲官は書物を好ましいものだと捉えていた。教会や国家、道徳に対する脅威よりも、実質的で美的な問題に心を砕いた。作家に共感し、会いにいき、テキストを印刷に回せる状態にできるように協力することさえあった」(本書44頁)という。

その実態はというと、たとえば宗教の分野では、「検閲官の多くは(カトリックの牙城である)ソルボンヌ大学神学部の教授であった。彼らは、プロテスタントの著作であっても、教育的であり、論争的ではないものについてはかなり柔軟な姿勢で臨んだ。(中略)たとえばシステロンの司教によるきわめて正統的な著作でも、承認しないケースがあった。ある検閲官が言うように、『感情を熱くさせる』のはよくないからだ。正統派を擁護する著作も無数にあったが、十分に説得力のないものには、許可をためらった」(本書46~7頁)と、内容に即して比較的公平に検閲を行った。

また政治に関しては、「王を非難するような作品については、そもそも検閲には提出されないため、検閲官は何も心配せずにすんだ。一方で、国王への賞賛が十分意味のある形をなしていない著作に頭を悩ませた」(本書47頁)という。

もっとも、本書49頁によれば、次のようなタイトルの本が特認を求めて検閲に回されてただちに却下されたという。『処女膜の神秘、あるいは深紅のベルベットのベルジェール』。いったいどんな本だったのだろうか。

では悪書の取締りは行われなかったかというと、特認を求めて検閲に回されるような本ではなく、現代で言えばポルノに相当する本や大貴族を誹謗するような本で、闇ルートで出回っていた本は取締りの対象だった。しかし、闇本を取締るのは検閲官ではなく警察である。ダーントンはどのような人たちが闇ルートの本を販売していたのか、逮捕者の嘆願書の実例などを示して、実態を明らかにしている(本書75頁)。

 

【手紙原文】

La supliente in plor votre justise vous prit de l’a regardé dun neuille de pitié je suis comme unemer de famille qui abesoins daitre ala taite de ses affaires

 

【フランス語正書】

La suppliante implore votre justice et vous prie de la regarder d’un oeil de pitié. Je suis comme une mère de famille qui a besoin d’être à la tête de ses affaires.

 

【日本語訳】

嘆願者は、あんたの正義をお願いしたいんだけど、あたしを情け深い目で見てちょうだい。あたしわ、家族のお母さんのようなもんで、自分のことを真っ先にしなきゃあいけないんです。

 

この嘆願書原文からは、嘆願の内容だけでなく、逮捕された女性がどの程度きちんとフランス語を書くことができたのかも分かる。このあたりに、ダーントンのジャーナリスト感覚が活かされているのではないだろうか。

さてこうした取締りが行われる一方で、次のような人物も出てきた。「自分が逮捕し、育てた他のすべての売人からの情報のおかげで、地下の書籍取引について幅広い知識を得た(警視)グーピルは、取引に加わることにした」(88頁)。ここまでくると、取締りはほんとうに人間ドラマだ。

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こうしてブルボン朝フランスの出版流通システム全般を点検したあとでの検閲に関するダーントンの結論は次のようなものだ。

「18世紀のフランス人たちは、誇らしげに王の検閲官という称号をつけて自らを名乗ったが、その場合検閲には書物に特認を与えるという機能しかなかった。しかし、多くの書物、いや書物のほとんど(海賊版や禁書も含めれば)は、法制度の枠内で流通することはなかった。検閲が書物に適用される国家の認可に関わるものであるならば、図書警察は出版監督局(Direction de la Librairie)で働く役人と同じ種類の活動をしていたことになる。「監督{=検閲}(Direction)」と「監察{=警察}(Inspection)」は18世紀のフランスでは異なる意味をもっていたが、書物の歴史はその両方をとりもつ広範なものであるべきなのだ。(中略)18世紀フランスの事例は、検閲の歴史について二通りの捉え方を示唆している。一つは検閲官の仕事に焦点を絞って狭義に解釈する方法、もう一つは文学を社会秩序に組み込まれた文化システムとして捉え、検閲官の仕事を文学史の広い視野に入れる方法である。私は後者を支持したい」(本書89頁)。