本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

<人間>不在?の『ロスノフスキ家の娘』

ジェフリー・アーチャー(1940年生)の4作目の小説『ロスノフスキ家の娘』(1982年、永井淳訳、新潮文庫)を読み終えた。

この作品の主人公は前作『ケインとアベル』の主人公アベル・ロスノフスキの一人娘フロレンティナ・ロスノフスキ。彼女の生い立ち、結婚及び経営者としての成功、その後転身した政治家としての成功を描いており、物語としては、<過去篇>、<現在篇>、<未来篇>の三部構成による『ケインとアベル』の続編という形式になっている。

ポーランド移民の娘がアメリカ大統領になるプロセスを描いている

フロレンティナの生い立ちから結婚までを描く<過去篇>の話は、当然のことながら『ケインとアベル』の裏話として進められ、アーチャーの世界にはまった読者には面白いかもしれないが、私にはとても退屈だった。アベルをはじめ前作の登場人物たちがいろいろ登場するのだが、その描写は説明的というか単なる種明かしのような感じで、いろいろな人間が醸し出す奥行きがあまり感じられない。フロレンティナがあまりにも優等生的に描かれているのも興味がそがれた。結局アーチャーは、物語を思いつく才能はあるが、<人間>を描くのが苦手と言う気がする。

救いは<未来篇>の政治活動や選挙運動の描写で、この部分は独特のスリルがあっておもしろい。ただしそれらがすべて単なる駆け引きのような印象で、政治はこんな単純なものなのかという疑問がわいた。

結局、この作品は『ケインとアベル』の続きを知りたいという単純な興味だけで読んだような感じで、それ以上でもそれ以下でもなかった。

ちなみに物語の最後で、フロレンティナはアメリカ初の女性大統領となるが、それが『新版・大統領に知らせますか?』(1987年)の設定につながっていく。