本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

構成は工夫しているが大味な『ケインとアベル』

ジェフリー・アーチャー(1940年生)の3作目の長編小説『ケインとアベル』(1981年、永井淳訳、新潮文庫)を読んだ。1906年4月の同日に生まれたという設定のヴワデク・コスキェヴィチとウィリアム・ケインの二人の男の人生が交錯する様を描いた長編で、作品タイトルは、旧約聖書カインとアベルの兄弟相克を意識しているようだ。

同年同日に生まれた二人の男の人生の交錯を描く『ケインとアベル

さてヴワデクは当時ロシア帝国領だったポーランドの田舎で私生児として生まれ、貧しいコスキェヴィチ家に拾われ育てられる。後に、この田舎町の領主ロスノフスキ男爵に才能を見いだされ、ロスノフスキ家の後継者と認められる。しかしヴワデクの少年時代に勃発した第一次世界大戦の影響で男爵も養家の人たちも大半が亡くなり、ヴワデク自身は流刑囚としてシベリアに抑留されるが、身一つで流刑地を脱出してアメリカに逃れ、名前をアベル・ロスノフスキと変えて、アメリカでの生活を始める。彼は肉屋の店員として生活をスタートさせ、ホテルのボーイ、支配人と、自分の才覚で徐々に出世していく。

一方、ウィリアムは裕福な銀行家の一人息子として生まれ、幼いときに父を亡くすが、それ以外は不自由のない生活で高等教育を受け、一族経営の銀行の頭取になる。

世界恐慌でホテル経営が破綻したときに、銀行家ウィリアムとアベルの接点が生じるが、ウィリアムに融資を拒否されたことがアベルの根源的な恨みと復讐心の元になり、その後ホテル経営を軌道に乗せて財産と社会的な地位を確保してから、アベルは復讐の機会を狙う。

大雑把に書けば物語はこんな感じだが、二人の男の絡み合いというストーリーそのものよりも、20世紀にポーランドが置かれた状況を描いた小説として興味深く読んだ。

作品構成としては、主人公を二人設定し、それぞれの物語を交代で描くことで作品が平板になることを避けているが、作品そのものはやや大味という感じがする。二人が同日に生まれたという設定や、第二次世界大戦での二人それぞれの志願入隊というエピソードも、結局あまり生きていないのではないだろうか。アーチャーは作品の筋書きを組み立てるのはうまいとおもうが、いかんせん、人物の描写があまりにも単調だ。