本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

残念だった藤原歌劇団の『ファウスト』

昨日は東京文化会館藤原歌劇団によるグノーの歌劇『ファウスト』の公演を聴いた。オケは東京フィルハーモニー交響楽団、指揮は阿部加奈子。グノーの歌劇を実演で聴くのは、私にとって今回が初めて。手持ちの3種類のCD(クリュイタンス指揮、ボニング指揮、プラッソン指揮)を何度か聴いて、曲のだいたいのイメージをつかんで公演に臨んだ。

メフィストフェレス役のカッチャマーニ(中央)が圧倒的だった『ファウスト

原作はもちろんゲーテの『ファウスト』だが、この話は非常に入り組んでいて長いので、歌劇の台本は、細かな話は全部刈り込んで、メフィストフェレスの魔力で若返ったファウストがマルグリートと出会い、誘惑し、捨てる話と、それによって清純さを失ったマルグリートが救済される話に絞ってすすめられる。作品の構造としては、ファウストとマルグリートは、名目的には主人公でもどちらかと言えば受け身の存在で、メフィストフェレスが積極的な行動を行って、物語をひっぱっていく。

演奏が始まると、まず最初の1音で「あれっ」とびっくり。ベートーヴェンの『エグモント』序曲の出だしととてもよく似ているのだ。考えてみると『エグモント』もゲーテ原作で、ゲーテの戯曲のもつイメージがベートーヴェンとグノーに、同じようにたたきつけるような和音の強奏で始めさせたのだろうか。この相似は、CDを聴いていたときはまったく気がつかなかった。

歌劇全体としては、合唱の役割が非常に大きいという印象を受けた。要所要所に、それこそギリシア悲劇のコロスのように合唱が入り、いわば民の声を代弁しながら物語をすすめていく。また、19世紀のフランス・グランドオペラでバレエが重視されるということは知っていたのだが、それがどれほど重要なのかは、今回の公演を観て初めて分かった。

演奏としては、ともかく、メフィストフェレス役で初来日したアレッシオ・カッチャマーニが声、演技ともに圧倒的で素晴らしかった。彼は上背があるので、舞台に立っているだけでも迫力があった。逆に、主役のファウストを演じた村上敏明は大不調で、聴かせどころで声がかすれ、メフイストフェレスにやられっぱなしのような感じだった(本来の主役が降板して代役として抜擢されての歌唱だったらしい)。マルグリートの兄ヴァランタンを演じた岡昭宏も好演。

演出と装置は、舞台の上に巨大な可動スクリーンを3枚並べ、それに場面に会ったイメージを投影したり、位置をずらして出演者が登場する扉として使ったりという、よく言えば象徴的なタイプ。場面転換が多いので、それもやむなしというところだろうか。また決闘シーンが何か所かあるのだが、それは日本刀を使ったチャンバラのようで、違和感をおぼえた。

総合的に言って、めったに聴かない歌劇が聴けたという意味ではありがたかったが、ファウスト役の不調もあって、声の絡み合いからくる興奮が薄い、残念な公演だった。