本と植物と日常

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ボールドウィン『山にのぼりて告げよ』を読む

アメリカの黒人作家ジェイムズ・ボールドウィン(1924年~87年、生年はカポーティと同じ)の最初の編小説『山にのぼりて告げよ』(1953年刊、斎藤数衛訳、早川書房)を読み終えた。邦訳は1961年に出版されてそのまま絶版になっており、日本での知名度は今一つだが、米ランダムハウスのモダンライブラリーが選んだ英語で書かれた20世紀の小説ベスト100の第39位にランクされており、アメリカでは比較的重要視されている作品だ。

この作品は、ボールドウィンの自伝的小説といい、ニューヨークのハーレムに住む黒人一家グライムズ家の長男ジョンの14歳の誕生日の朝から翌朝へかけてのできごとが描かれている。

グライムズ家はジョンを筆頭にロイ、サラ、ルースの4人兄妹がいる貧しい一家で、父のガブリエルと母のエリザベスは20歳ほど年がはなれている。ガブリエルはキリスト教の説教師だが、ふだんは他の労働をして一家を支えている。また彼は、ジョン、ロイそして妻のエリザベスにすぐに暴力をふるう乱暴な父親で、ジョンは父親を嫌っている。主要登場人物としては、他にガブリエルの姉フローレンスや教会の関係者がいる。フローレンス、ガブリエル、エリザベスはみな南部出身で、早くニューヨークに出ていたフローレンスが、弟のガブリエルをエリザベスに引き合わせたという設定。

物語は三部構成で、最初にまずジョンの誕生日の朝から夕方までの出来事が、ジョンの視点からかなり細かくリアルに描かれる。

続く第二部はハーレムの教会が舞台で、ジョンの他、伯母、父、母が教会に祈りに出かける。この教会で伯母以下の3人がそれぞれの回想にひたり、その回想をとおして、一部では描かれなかったグライムズ家の細かい家族史が明らかになる。

第三部は、叙述スタイルががらりとかわり、ジョンにおとずれた啓示と入信が幻想的に描かれる。ふつうに考えれば、この啓示と入信が作品の最大のテーマといえるだろう。実は、作品のタイトル『山にのぼりて告げよ(Go tell it on the mountain)』は古いゴスペル・クリスマスソングのタイトルそのものであり、したがって英語圏の読者には、これがキリスト教信仰とからむ物語だということが、タイトルから直感できるようになっている。

さて前置きが長くなったが、この作品で私がすばらしいとおもったのは、実は第二部の構成で、この部分で、単純な一家とおもわれたグライムズ家が抱える複雑な問題が、伯母、父、母と視点を変えながら少しずつ明らかにされ、それに応じて、第一部をはじめ前の部分での登場人物たちの行動の理由や心理が、最初とは違った角度から理解されるようになっている点だ。

こういう書き方をすると、この作品の主部は心理的な謎解きゲームと受けとられかねないのだが、そうではなくて、ボールドウィンは、個々の人間の行動や心理のなかには、結局他者には読み取れない部分が多々あり、それが全体としての家族や社会を構成していると考えているのだろう。ジョンには父の心は読み取れず、父ガブリエルは妻エリザベスの心理を読み取ることができない。人間はそういう存在として生きていくのだという問題提起が、私にはとてもおもしろかった。

したがって、この視点にキリスト教信仰の問題をからめれば、人間ではなく神がバラバラの人間を繋いでいくということになるのかもしれないが、信仰をとおした問題解決の是非は、私にはよく分からない。だから、ボールドウィンが意図した作品の大切な部分を読み切れていない可能性が高いのだが、しかしその点をのぞいても、非常に優れた人間描写だと感心した。

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ボールドウィンの自伝的小説『山にのぼりて告げよ』