本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

砂川文次『ブラックボックス』を読む

砂川文次の新作小説『ブラックボックス』(講談社、2022年)を読んだ。今年はじめの第166回芥川賞受賞作だ。砂川文次の作品が気になったのは、前作『戦場のレビヤタン』(文藝春秋、2019年)の記事でも書いたが、自衛隊に入隊し、退官後に小説を書き始めたという経歴に興味をもったからだ。

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第166回芥川賞受賞作『ブラックボックス

さて、『ブラックボックス』の主人公サクマは、前作『戦場のレビヤタン』の主人公Kと同様に自衛隊入隊経験をもつという設定であり、その点ではある程度砂川の分身といえる。ただKが大学卒業後に幹部候補として自衛隊に入隊したのに対して、サクマは中学・高校と落ちこぼれで、高校卒業後に、家を出たいというだけの理由で自衛隊に入隊したという設定になっており、砂川からは距離がある。

そのサクマだが、自衛隊では先輩と喧嘩をして一任期二年で辞め、その後就職した小さな不動産会社も長続きせず、職を転々として、『ブラックボックス』冒頭では自転車で書類を運ぶメッセンジャーの仕事をしているという設定になっている。

しかし管理者ともめてメッセンジャーの仕事も続けられず、その後、自宅を訪問した税務署員を衝動的に怪我をさせ、刑務所に収監されてからの話が後半。

自分の意志で能動的に仕事や生活環境を選ぶタイプではないサクマは、拘束の多い刑務所の日常をむしろ平然と受け止めるが、ここでもいざこざを起こして、独房閉居の罰を受ける。

こうしたサクマをとおして砂川が描いているのは、生きる目的をどこにも見出すことができず、何ものからか逃れたいという想いだけで刹那的に生きている男の想念だ。作品の表題『ブラックボックス』は、そうした空っぽな意識をもたずに生活を送っている人々の一見平和そうな住居を指す。

ただ『ブラックボックス』は、主人公のそうした虚ろな生き様を描いて終わるのではなく、閉居罰から戻ってから、主人公が刑務所内の懲役作業に目的を見出す場面を描く。作品のなかの言葉でいえば、それは自分が「変わったことを認める」ということだ。外的には何も変わらないなかで、自分自身のなかにある目的性を見出し、変わっていこう(変えていこう)と意識すること。その「妙な温かみが広がっていく」のを認識することで作品は終わる。

作者自身の経歴を反映させながら、単なる作者の分身とは異なる人間を描き、その内部に入り込んでいったところに、砂川作品の成長が見えるように感じられた。