本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

全シーンを主人公の視点から撮影した『湖中の女』

昨日はDVDでアメリカ映画『湖中の女』(1947年)を観た。レイモンド・チャンドラー原作の探偵映画で、ロバート・モンゴメリーが監督し、主人公の私立探偵フィリップ・マーロウもモンゴメリー自身が演じている。

ほとんど全シーンをマーロウの視点から撮影した『湖中の女』

物語は、マーロウが探偵小説『生きる前に死ぬべきか』を書き上げ、出版社に送ったところ、その出版社から連絡が入ったという場面から始まる。推理小説等の出版社キングズビー出版に赴くと、応対に出てきたのは社長の第一秘書であるエイドリアンという女性。彼女の用件は、実はマーロウの小説を出版しようというのではなく、「小説に描かれているような探偵がいれば紹介して欲しい」と切り出される。マーロウが、この小説は自分自身を描いたのだと説明すると、あらためて、「社長夫人が行方不明になっており、社長に秘密で夫人の行方を探して欲しい」と依頼される。依頼を受けてマーロウは社長夫人が付き合っていたレイヴァリーという男を訪ねるが、ちょっとした隙に殴られて気絶し、飲酒運転をしたように偽装されて逮捕される。この経緯に不審を感じたマーロウが釈放後にレイヴァリーを再訪すると、家には鍵がかかっておらず、彼は殺されている。

マーロウが自己紹介する冒頭のプロローグ的シーン

とまあ、こんな感じで物語が始まるが、この映画の最大の見どころは、マーロウ自身のナレーション・シーン以外は、カメラがすべてのシーンをマーロウの視点から撮影しており、部屋の中の鏡に写るちょっとしたカットを除いては、主人公マーロウの姿が画面に映らないことだ。つまり、原作の一人称の語りをそのまま映画撮影の手法に置き換え、観客が、マーロウと同じ視点から事件の謎を追うというスタイルになっている。ということで、この作品は本質的には娯楽映画なのだが、大胆な実験映画でもある。

マーロウに社長夫人の捜索を依頼するエイドリアン。当然ながらカメラ目線。

問題は、マーロウが第三者と対話するシーンは、基本的にカメラ目線の相手を正面から写すので画面が単調になることと、なれない撮影方法のためか、出演者たちがみなカメラを意識して、演技がややぎこちない感じになっていることだ。ユニークなアイデアだけに残念だった。

なお、事件はクリスマス・シーズンに起こったという設定になっており、クリスマスを意識したタイトルはしゃれていた。