長谷川四郎(1909<明治42>年~1987<昭和62>年)の短編集『鶴』を読んだ(講談社文芸文庫)。表題作の他「張徳義」「ガラ・ブルセンツォワ」「脱走兵」「可小農園主人」「選択の自由」「赤い岩」を収めている。

長谷川四郎という小説家はあまりポピュラーとは言えず、私も先日までその存在を知らなかった。函館生まれで、大学卒業後南満州鉄道に就職して1937<昭和12>年に中国大陸にわたり、1944<昭和19>年に満州で招集され、終戦後シベリアに抑留されて1950<昭和25>年に帰還、その後小説を書き始めたという経歴の作家だ。最初の作品であり代表作でもある『シベリア物語』が書かれたのは1952<昭和27>年、『鶴』はその翌年に書かれた。『シベリア物語』と『鶴』に書かれているのは、シベリア抑留とそれ以前の満州での生活や軍隊生活での見聞にもとづく実話に近い世界だ。
『シベリア物語』を私はまだ読んでいないが、『鶴』に収められている作品は、著者の戦争体験を反映しているといっても暗さや悲惨さに満ちたものではなく、あえて言えば静謐な感じの作品で、軽いユーモアさえ感じられる。
表題作であり最も感銘の深い『鶴』でいうと、終戦間もない頃、兵士不足のため、主人公はやや高齢で招集され国境警備隊に配属される。そしてそこで矢野という親しい仲間ができる。矢野は、「おれは天皇なんか、なんとも思っちゃいないんだ」と主人公に語り、主人公はそれに共感を覚える。そうしたことが彼らをますます親しくさせる。敗戦が濃厚になった頃、彼らは自爆用のダイナマイトをわたされる。そうした緊張のなかで敵陣監視の任務についたとき、主人公は望遠鏡の先に一羽の鶴を発見する。そこは沢山の葦が映えた沼沢地で、「鶴はこれらの自然物を背景にして直立し、まるで陶器の置物のようにじっと動かなかったが、時々首を垂れて、餌をあさっており生きていることがわかった。それは非常に静かで、純潔で、美しかった」(67~8頁)。
鶴を見た日からしばらくして、矢野は軍隊から逃亡する。そして矢野がいなくなって一週間が過ぎたとき、警備隊はソ連軍の攻撃を受ける。撤退前に将校から望遠鏡を取って来るよう命じられた主人公は哨舎に引き返し、望遠鏡でかつて鶴が飛ぶのを見かけた空虚な葦原を観察する。しかしそのとき、ソ連軍の撃った砲弾が主人公に命中する。作品は、「私の傷口は新たに開いて、血がこんこんと湧き出て来た。それは私自身の中にある海だった。海が私の周囲に涯しもなくひろがり、私はその無限の深みへ、ゆっくりと沈んでいった」(78頁)という自己省察で結ばれる。
ここには、戦争を告発する直接的な言葉は何もない。しかし、満州とシベリアで数々の死を目撃してきた作者による深みのある表現だとおもった。
鶴、戦争、死の対比が見事だ。