本と植物と日常

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徳川幕府の台所事情を分かりやすく説明した『江戸の経済官僚』

江戸時代のさまざまな経済事情を勉強しようと、『江戸の経済官僚』(佐藤雅美、徳間文庫、1994年)を読んだ。江戸時代の徴税制度、徳川幕府の収支内容、通貨政策などをまとめた作品だ。

徳川幕府の台所事情を詳述する『江戸の経済官僚』

まず幕府の台所事情だが、佐藤氏によれば、家康は全国のめぼしい金銀鉱山を将軍家直轄とし、そこから算出される金銀で金貨・銀貨を鋳造したので、豊富な財産をもっていた。三代将軍・家光は東照宮造営などでそうした財産をかなり散財したが、それでも子の四代将軍・家綱に600万両以上の遺産を残しているという。ちなみに、家光が徳川家の財産を散財したために市井に金銀が出回るようになり、江戸経済の基礎ができたともいう。

次に家綱の代だが、在位10年目の寛文元年(1661年)には幕庫の財産は385万両にまで減っており、家綱が五代将軍・綱吉に残した遺産は100万両以下だったという。家綱の治世は約30年間だったので、平均約16万両を家康の遺産から取り崩していたことになる。

一方、幕府の収入は、開幕後金銀の産出量が減少し、天領と呼ばれていた直轄地の年貢に頼っていたが、それはほぼ年間170万~180万両だった。幕府の支出のうち、将軍の身の回りや城中の維持にかかる費用は年間10万~20万両で、支出の大半は旗本・御家人の俸禄に消えた。この俸禄は固定費であり、災害や将軍の旅行(日光・京)などで臨時の出費があると、城中の費用を切り詰めるだけではまかないきれず、代々の遺産を取り崩すしか方策がなかった。

江戸時代の徴税システムがどうなっていたのかは、以前から私がもっとも知りたいことの一つだったのだが、佐藤氏によれば、天領からの年貢がほぼ唯一の徴税で、町人、商人から税を取り立てることは考えられていなかった(思うに、所得の申告という制度がないかぎり、町人から住民税を徴収することは不可能だっただろう)。また大名の領地からの徴税も原則としては想定されていなかった。

さて、本書の記述の大半は、こうした構造的な赤字システムのなかで、幕府がどのように財政をやりくりしていたのかということに費やされるが、端的にいえば、それは貨幣の改鋳によってである。具体的にいえば、金貨(小判)に銀を混ぜ、それを純金の小判と同じ流通価値をもったものとして通用させることで、金と銀の差益を得るという方法である。本書のタイトル<江戸の経済官僚>は、それを誰がどのように行ったかに由来しているといっていい。

この方法は、幕府が統制力をもつかぎり通用し、通貨発行の差益収入をもたらしたが、幕末になって外国との交易が始まると破綻した。つまり、国内で1両として通用している小判に1両相当の金が含まれていないからである。佐藤氏は、この部分の説明にかなりのページを割いている。

不かりやすくて非常におもしろい本だったが、一般向けに書かれているために史料の出所が必ずしも明かではなく、部分的にすんなりと了解できない箇所もあった。

また田沼意次松平定信の比較では、両者の遺恨は了解できたが、対外政策の比較の部分、特に定信が頑迷な鎖国主義者だという断定は肯んじがたかった。というのは、他の著者による仙台藩からロシアへの漂流民の記録の分析を読むと、定信は開国を視野に入れていたように考えられるからだ。