本と植物と日常

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人間の心のなかに深く踏み込んだ吉田秋生の『詩歌川百景』

吉田秋生のコミック『詩歌川(うたがわ)百景』(小学館)の最新第4巻が出たのでさっそく読んでみた。

人間の心のなかの問題に深く踏み込んだ『詩歌川百景』

この作品は、山形県の山村にある架空の温泉街・河鹿沢温泉を舞台に、さまざまな住民たちの日々の生活やそのなかから生まれてくる心の葛藤を描いた群像作品。メインキャラクターはあづまやという老舗温泉旅館の20歳の見習い湯守・飯田和樹。これに、和樹の同級生の林田類と森野剛、あづまやの大女将・小川民子とその孫娘・小川妙など、温泉街の人たちの思わくや動きが複雑にからんでくる。

物語では、和樹の別れた母親は三度結婚しているという設定で、母親の三度目の結婚の際に母親と別れ、親戚の養子になって成長した。幼い頃、守る人がだれもいないなかで実父のDVにさらされていたため、彼はなにかことあるごとに自分の殻のなかに閉じこもって自分を守ろうとする傾向が強く、自己表現が不得手とされる。そのナイーブな心の動きが作品全体の焦点。

そうしたなかで、第4巻は、類(頭脳明晰で仕事は完璧にやり遂げるが、その分人間関係の洞察力が弱いという設定)の家庭問題、和樹の実弟で実母の三度目の結婚以来離れ離れになっていた弟・智樹の存在などがクローズアップされる。

ご存知の方も多いとおもうが、この作品は、吉田の前作『海街diary』から発展したサイドストーリーでもあり、『海街diary』の登場人物が再度登場し、それをとおして『海街diary』のその後の展開が語られる(ただし具体的な場面としては描かれない)ことが、想像力を刺激して作品に奥行きを与えている。

また今回第1巻から通読してみてあらためて気がついたのは、ナレーションの見事さ。和樹はもともとセリフが少ないキャラクターだが、周囲の人物たちもセリフが多くはない。というより、言葉に出せない葛藤をそれぞれの胸のうちに秘めている。それを補っているのが和樹の内面の言葉で、それは和樹の心理を伝えるだけでなく、ときとしては物語の背景説明となって言葉が少ない作品をうまく展開させている。(ドラマチックな和樹と智樹の対決の場ではこうした内面の告白を一切使わず、言葉と行動だけで場面を描いており、そうした構成上の配慮も見事!)。

登場人物の多い複層的なドラマということで、読みながらおもわずプルーストの『失われた時を求めて』を思い浮かべてしまったのだが、個々の登場人物の心理(そしてそれがどのように行動にあらわれてくるか)を描くという点では、個人的には『詩歌川百景』に分があるようにおもえる。