イタリアの歴史家マリア・ベロンチの『ミラノ ヴィスコンティ家の物語』(1956年、大條成昭訳、新書館、1998年)を読んだ。1261年~1447年の約200年間に、12代にわたってミラノを支配したヴィスコンティ家の人々の生い立ち、性格や権力争いを紹介した年代記だ。<ヴィスコンティ>ときいてまっさきに思い浮かぶ人物は映画監督ルキノ・ヴィスコンティで、彼はミラノ古い貴族の家柄ということは知っていたのだが(彼はヴィスコンティ家の傍流の末裔)、ではその先祖がどのようにしてミラノの支配者になり、また支配権を失ったかという経緯はまったく知らなかったので、その意味ではおもしろかった。ちなみに、ヴィスコンティ家の紋章は蝮とのこと。
本書の内容は、「簒奪」「繁栄」「制覇」「抗争」「瓦解」の五部に分けられ、13世紀にオットーネがミラノ大司教として権力を握る時点から、15世紀にフィリッポ・マリアが亡くなり、ヴィスコンティ家の直系が絶えてスフォルツァ家に権力を奪われるまでが描かれている。1353年、6代目当主ジョヴァンニの時代にペトラルカがミラノに移り住んだころがヴィスコンティ家繁栄の頂点だろうか。ヴィスコンティ家直系の断絶は、ルネサンスの始まりとほぼ重なっている。
本書を読むと、ヴィスコンティ家の家督相続者には、君主としての資質を欠いた人物が多かったようだが、それでも12代もミラノに君臨できたというのは、ヴィスコンティ家に力があったというより、時代が家柄を重視していて、ヴィスコンティ家に替わることができる支配者一族が登場しにくかったのではないかという印象をうける。同じ時代の日本の北条氏、足利氏の家督相続を少し思い浮かべてしまった(北条氏、足利氏にも暗愚な当主が多い)。最後に、傭兵出身のフランチェスコ・スフォルツァに権力が移るのも、日本風に言えば下剋上ということだろうか。このあたりも、なんとなく室町時代末期の日本の状況と似ていなくもない。
ただし全体は、ほとんどが権力争いの話で、文化や社会状況についての説明はほとんどなく、歴史書として考えると、やや物足りない感じがした。
なお、訳者・大條氏は、フランコ・マンニーノにこの本を紹介されたといい、あとがきでマンニーノについても少し触れている。それによれば、マンニーノは監督ルキノ・ヴィスコンティの妹ウベルタの配偶者で、作曲家、指揮者。ヴィスコンティ映画『家族の肖像』の音楽を担当しているが、それにはこういう縁が背景にあったのだと初めて知った。