本と植物と日常

本を読んだり、訳したり、植物に水をやったりの日々…。

イタリアの国民的文学、マンゾーニ『いいなづけ』を読む

19世紀イタリアを代表する作家アレッサンドロ・マンゾーニの『いいなづけ』(平川祐弘氏訳、河出文庫、2006年)を読んだ。スペインに支配されていた17世紀のミラノ公国(当翻訳ではミラーノと表記されている)の田舎町レッコに住む若い男女が結婚し家庭を築くまでのさまざまな困難を描いた小説だ。19世紀にイタリア統一運動が高揚するなかでマンゾーニおよび『いいなづけ』の名声は高まり、1860年イタリア王国が成立すると、マンゾーニは上院議員に選ばれている。またその死を悼んで、ヴェルディは有名な『レクィエム』を作曲した。この作品、日本ではあまり知られているように思えないが、イタリアでは、ダンテの『神曲』とならび古典中の古典とされる。

イタリアの国民的文学『いいなづけ』

主人公はレンツォとルチーアというカップルで、1628年11月に結婚を予定していたが、ルチーアに横恋慕していた領主ロドリーゴのさまたげで式を挙げることができず、そればかりか故郷レッコの町を逃れざるをえなくなり、離れ離れになってさまざまな苦労をする。その間、ミラノ公国に大飢饉、傭兵隊の侵入、さらにはペストの流行という災厄が次々に訪れ、国は荒廃する。そうした困難な状況を乗り越え、最後に二人は結ばれ、無事に家庭を築く。

レンツォとルチーアの性格づけは単純で、なかでもルチーアには、主体的な行動や心理を感じとることができなかった。

全体の構造としても、恋愛心理の描写は希薄で、むしろ、飢饉やペストにおそわれた町の様子が事細かく記される。カップルの周囲の敵対的あるいは好意的な人物たちに関しては、行動をとおして性格が説明されていくのではなく、まず長い挿入説明としてそれぞれの過去が語られ、現在の行動がその過去やそれによって形成された性格を裏づけるというかたちの叙述が多い。登場人物同士の絡み合いは少なく、現代感覚からすれば、かなり静的な書き方だ。また、マンゾーニ(匿名の著者の原稿を発見し、自分はそれに手を入れて公刊しただけだと、自己を韜晦している)が作品のところどころに顔を出し、状況を補足説明したり感想を述べていく。単純な三人称の書き方ではない。この語り口を訳者の平川氏は講談風と評しているが、私には人形浄瑠璃風とおもえた。

以上のように、『いいなづけ』は現代小説とかなり異なる書き方だが、独特の骨太の風格をもっているともいえる。

作品は、はじめミラノの言語であるロンバルデイア方言で書かれて1827年に出版され、1840年に現代のイタリア語のもとになったトスカーナ方言にあらためられて発表された。この1840年版には多数の図版が添えられており、この日本語訳でもその図版を再掲しているので、17世紀当時の様子が視覚的にも理解できるのはありがたかった。

なお、アレッサンドロ・マンゾーニは18世紀の啓蒙思想チェーザレ・ベッカリーアの娘ジュリアの長男。戸籍上の父はジュリアより26歳年長のピエトロ・マンゾーニ伯爵だが、実際の父親はベッカリーアと親しかったヴェッリ家の一員ジョヴァンニ・ヴェッリだったらしい。